1966年、ソニア リキエルが自身の名を冠したブランド「ソニア リキエル」を設立。
ソニア リキエル(SONIA RYKIEL)はフランスのファッションブランド。サンジェルマン・デ・プレをイメージさせるパリジャンスタイルが特徴。創業者のソニア・リキエルがニットの女王と呼ばれてたようにニットを得意とするブランド。
創設者ソニア・リキエル(Sonia Rykiel)は、1930年、フランス・パリ生まれ。62年、妊娠中にブティック「ローラ」のためにセーターとマタニティドレスを作り、彼女の初コレクションとなる。1966年「ソニア リキエル」を設立。66年、パリのサンジェルマン・デュ・プレに自身のブティックをオープン。普段着に使用されていたジャージー素材をモードにもたらし、ニットをファッショナブルに変貌させた。その貢献からしばしば「ニットの女王」と呼ばれる。
88年にはメンズコレクションに進出。リキエルは初めてのメンズは自身の夫の着る服をイメージしたという。その後、「ソニア リキエル」は子供服、フレグランス、コスメやアクセサリーにも進出した。
ソニア・リキエルは、フランス文化省から勲章を3度受勲。ファッション以外の活動にも積極的に参加し、子供向けのお伽話、小説「赤い唇」、ファッション哲学を語った「裸で生きたい」、「ソニア リキエルのパリ散歩」、その他自伝の執筆など作家としても成功する。94年にはロバート・アルトマンの映画「プレタポルテ」に出演、マルコム・マクラーレンと彼のアルバム「パリ」でデュエットもした。
2007年、ランバン、ブルマリン、マルティーヌ シットボンでキャリアを積み、ソニア リキエルでチーフアシスタントをしていたガブリエレ・グライス(Gabrielle Greiss)がクリエイティブ・ディレクターに就任。2009年、ガブリエレ・グライスが辞任。
その後、ソニアと娘ナタリー・リキエルがブランドを率いていたが、2011年、新クリエイティブディレクターに、エイプリル・クライトンを任命。
2012年、ファースト・ヘリテージ・ブランズ社と提携し、ダイナミックかつ全面的な組織再編を実施。
2014年、アーティスティック・ディレクターにジュリー・ドゥ・リブラン(Julie de Libran)を起用した。就任前、ジュリーは、マーク ジェイコブスの右腕として、ルイ・ヴィトンのウィメンズウェア、プレタポルテのクリエイティブ・ディレクターを担当していた。
ジュリー・ドゥ・リブランは、ソニア リキエルのウィメンズウェア、アクセサリー、ディフュージョン ラインのソニア バイ ソニア リキエル(Sonia by Sonia Rykiel)、チルドレンズウェア、ホームコレクションを含む全てのラインを監督する。
2016年8月、メゾンの創始者であるソニア・リキエルが死去。
2018年秋冬コレクションを最後にソニア リキエル コレクションの展開を終了することを発表。2019年、「ソニア リキエル」ブランドが終了。経営不振のため破産。ブランドが終了することが決定。
日本ではオンワード樫山とソニア リキエル コレクションというブランド名で広く知られていたが、2018年秋冬コレクションを最後に「ソニア リキエル コレクション」は終了することを発表した。
2019年、ファッションECサイト「ショールームプリヴェ」の創業者、エリック&ミカエルのダイヨン兄弟がブランドを買収。ECとして復活した。