1946年、クリスチャン・ディオールが自身の名を冠したブランドを創業。1947年、パリにてオートクチュールのコレクションでデビュー。
ディオール(DIOR)は、クリスチャン・ディオールが創業したフランスのラグジュアリーブランド。ウェアからバッグ、小物などのアクセサリー、ジュエリー、コスメティクスまでトータルで展開している。なお、食器などホームアイテムを展開するディオール メゾン(DIOR MAISON)は、日本では銀座のハウス オブ ディオール ギンザのみでの取り扱い。
クリスチャン・ディオールは、1947年春夏シーズンにパリコレクションデビュー。ゆったりとしたなだらかな肩に細く絞ったウエスト、長いフレアースカートによって、数字の“8”のようなシルエットを描く「ニュールック」を打ち出し、トレンドを作った。「ニュールック」は発表当時、エレガントな女らしさを強調した平和のシンボルとも評された。
ディオールのアイコニックなアイテムとして挙げられる「バー」ジャケットは、クリスチャン・ディオールが提示した「ニュールック」に欠かせないアイテム。第二次世界終戦後間もない1947年2月12日、初のオートクチュールコレクションにて披露された。引き締まったウエスト、なだらかなショルダー、ヒップを強調するペプラム、大きく開いた首元といった、女性の美しさを強調するデザインが特徴だ。
ディオールのアイコンバッグ「レディ ディオール」は、ダイアナ妃も愛用していたハンドバッグ。メゾンの象徴的モチーフである格子柄「カナージュ」をあしらった立体的なボディに、曲線的なハンドルをあしらったバッグ。なお、「カナージュ」は、クリスチャン・ディオールがオートクチュールショーでナポレオン3世に選んだ椅子のカナージュ柄に由来している。
創業者クリスチャン・ディオール(Christian Dior)は、1905年、フランスのノルマンディ地方グランビルで裕福な実業家の家に生まれる。 両親の希望で外交官を志して政治学院に学ぶも、在学中にシュルレアリスムに魅せられ、画廊を開設、しかし1930年代の恐慌のあおりで失職する。その後、画廊時代のつながりでファッションの世界に入る。
1946年、リュシアン・ルロンのメゾンで働く彼の才能に目を止めた木綿王マルセル・ブサックの援助で独立、「クリスチャン ディオール・オートクチュール・メゾン」が誕生。自身のブティックを持つ。
1947年春夏シーズン、パリコレクションにデビュー。ペチコートで膨らませた曲線を強調した、ゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、くるぶしまであるロングスカートという優美なスタイルの「花冠ライン」を発表。そのシルエットの美しさに驚いた『ハーパース・バザー』の編集長カーメル・スノーが、「これはまさにニュー・ルックね」と言ったことから、そのデザインは「ニュールック」と呼ばれ、世界のモード界に新しい風を吹かせることになる。
その後、48年「ジグザグライン」、50年「バーティカルライン」、51年「オーバルライン」、52年、
「シニュアスライン」、53年「チューリップライン」、54年「Hライン」、55年「Aライン」、56年「アローライン」と、立て続けに新しいシルエットを提案し、50年代のファッションをバレンシアガとともにリードした。
1948年、香水部門の会社「パルファン・クリスチャン ディオール」を設立。クチュリエとしては初めてライセンス事業に乗りし、アメリカにおいてライセンス生産を開始する。また、ライセンス契約で、ストッキング、ネクタイ、食器類などを生産していく。これは、いわゆるブランドビジネスの先駆け的な存在になった。
1957年、イタリアに旅行中、心臓麻痺により52歳で急逝。
ディオール死後の1957年、イヴ・サンローランが21歳の若さで主任デザイナーに抜擢。その後、1960年にマルク・ボアンが就任し、1989年までデザインを担当。
1967年、本格的にプレタポルテをスタート。同年よりベビー ディオールをスタート。
1970年、メンズラインの展開スタート。
1970年代からは経営危機を迎え、一時親会社のブサック・サンフレール社が国有化される状態に陥るものの、1984年、ベルナールアルノーが経営を引き継ぎブランドを再興させる。現在は、LVMHを経営上の傘下に持つまでに成長した(ディオール再建の詳細に関してはLVMHを参照)。
1989年にジャンフランコ フェレと引き継がれ、ディオール創立50周年の1996年より、ジョン・ガリアーノがデザイナーに就任。フェレ、ガリアーノは伝統的なディオールの「シルエット」にモダンを取り込み、ディオールをトレンドセッターとして再生させた。
2007年、メゾン設立60周年を記念して、ディオールとガリアーノにフォーカスした展覧会「Two Decades of Creation~モードを変えた二人の奇才~」が開催。この年は記念イベントが各国で開催された。
メンズラインは、2000年、エディ・スリマンがディオール オムを立ち上げて、大きな反響を呼び、メンズファッションとしても影響力を発揮した。(発足前はディオール・ムッシュというラインでメンズウェアをパトリック・ラヴォワがデザインを担当して展開していたが、メンズウェアブランドとしてはやや低迷していた。)
2007年、ディオール オムの新デザイナーにクリスヴァンアッシュが就任。
2011年、ガリアーノを解雇。2012年、ラフ シモンズがアーティスティック・ディレクターに就任。
2014年、大規模な展覧会「エスプリ ディオール」を東京・銀座で開催。ブランドのドレス、フレグランス、アクセサリー、資料や写真を通して、過去から現在までの軌跡を紹介。多くの人が会場を訪れた。
2015年3月、映画『ディオールと私』日本公開。ラフ・シモンズ(RAF SIMONS)が初めて手掛けた2012年秋冬オートクチュールコレクションの舞台裏に迫るドキュメンタリー。
2016年春夏コレクションを最後にラフ シモンズが退任。その後はデザインチームがコレクションを手掛けている。
2016年、ヴァレンティノ(VALENTINO)のクリエイティブ・ディレクターを退任したマリア・グラツィア・ キウリ(Maria Grazia Chiuri)が、ウィメンズ オートクチュール、プレタポルテ、アクセサリーコレクションのアーティスティック・ディレクターに就任(2022年現在はクリエイティブ ディレクター)。
2016年、リアーナとディオールがコラボレーション。限定サングラス「リアーナ」発売。
2018年、ディオール オムのアーティスティック ディレクターにキム・ジョーンズが就任。これに伴い、2019春夏コレクションより、メンズライン「ディオール オム(DIOR HOMME)」が、ブランド名を改め、ウィメンズラインとともに「ディオール(DIOR)」として生まれ変わることになった。
2018年、ディオール ビューティー初のアジア アンバサダーにモデル・女優の水原希子が就任。
2019サマー コレクションにて、キム・ジョーンズがメンズの新定番スーツ「テイラー オブリーク」を発表。クリスチャン ディオールが1950-51年秋冬コレクションで手掛けた「オブリーク コレクション」からインスピレーションを得ている。
2020年3月、「ディオール、パリから日本へ」展を大阪・阪急うめだ本店で開催。
2020年3月、ビューティ・ファッション・ファイン ジュエリー&タイムピーシズのジャパン アンバサダーとして音楽家のCocomiを起用。Cocomiは、木村拓哉と工藤静香の長女として生まれ、妹はモデルのKōki,。
フォール 2020 メンズコレクションにて、ナイキのジョーダンブランドとコラボレーション。
2021年、ディオール ビューティーのジャパン アンバサダーとして山下智久を起用。
2021年、メゾン フランシス クルジャンのフランシス・クルジャンがパルファン・クリスチャン・ディオールのパフューム クリエイション ディレクターに就任。2006年よりディオール パフューマー クリエイターを務めてきたフランソワ・ドゥマシーの後任となる。
2022年12月、ロンドンやニューヨークなどを巡回してきた展覧会「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」が、東京都現代美術館で開催。
2023年、BTSのメンバーであるジミンがディオール グローバルアンバサダーに就任。尚、2019年にはBTSのステージ衣装デザインをキム・ジョーンズが手がけていた。