1847年ルイ・フランソワ・カルティエがパリにてジュエリーのメゾンを開く。
カルティエ(Cartier)はフランスのジュエリーブランド。ハリー ウィンストン、ティファニー、ブルガリ、ヴァン クリーフ&アーペルと並んで「世界5大ジュエラー」と呼ばれることもある。
1847年マスタージュエラーの称号を受けたルイ・フランソワ・カルティエが、師匠のアドルフ・ピカールから、フランスのパリ・モントルゲイユ街29番地のアトリエを譲り受ける。
1853年、パリ、ヌーブ・デ・プティシャン通り5番地で、顧客用のブティックを開く。1888年、時計部門がスタート。1900年、銀の代わりにプラチナをセッティングに使用。
3代目のルイ・カルティエは友人であるブラジル人飛行士アルベルト・サントス・デュモンから飛行機の中で使える新しい腕時計の製作を依頼されたのをきっかけに、宝石製作だけでなく、腕時計の分野に進出。レザーストラップ腕時計を製作。「サントス」が誕生するとともに、これが初の腕時計ともいわれている。ルイ・カルティエは常にモードを造ることを心がけて、アバンギャルドな路線でブランドの革新を続けた。その一つが現在ではカルティエのスタンダードになっているプラチナの使用である。
1906年、抽象的、幾何学デザインの「アール・デコ」ジュエリーを試作。カルティエ初の量産型腕時計、ブレスレッドウォッチ「トノー」を製作。1908年、ルイがパリのオークションで買い上げたブルーダイヤモンド「ホープ」をピエール・カルティエが販売。「C」を組み合わせたロゴマークが誕生する。
1912年、最初のバケット(BAGUETTE)カットのダイヤモンド創作。バゲットはフランス語で「棒」の意味で、ダイヤで用いられる段状のカット。長方形の宝石となり、 ルイ・フランソワ・カルティエが創出。20年代、アールデコの幾何学的なデザインを代表するものとなる。
1913年、28歳の天才時計師、モーリス・クーエ、初のミステリークロック「モデルA」を発表。水晶の中に文字盤が浮いているように見えるため、この名がついた。1914年パンテール(豹)モチーフを初めて採用。当時の女性ディレクター、ジャンヌ・トゥーサンのあだ名がパンテールだったことによる (当時は珍しかった毛皮を好んで着ていたため)。
カルティエは20世紀前半、成長を続け、1939年までの間に15ヶ国の王室御用達を勅許状を拝命。そのうち、9王室の紋章が現在もカルティエ パリ本店の各入り口左右に掲げられている。68年、カルティエ・ブランド初のオーバル型高級ライター(収納式ローラー)が誕生。
69年、カルティエ・オークションで69.42カラットのペアシェイプカットダイヤモンドを買い、これをリチャード・バートンに売る。彼は、このダイヤモンドをエリザベステイラーに贈る。これが有名なカルティエ=バートン=テイラー・トライアングル。アラン・ドミニク・ペラン、「ブリケカルティエ(カルティエ ライター)」社に参加。カルティエ・ジュネーブがオープン。同年、カルティエ・ニューヨークのデザイナー、アルド・チブロのアイデアにより、ラブ・ブレスレット発表。
72年、ジョゼフ・カヌイを中心とする投資家グループがカルティエ・パリを買取したのを機に、70年代から80年代にかけ、世界に散らばるカルティエグループが再統合れ、巨大なラグジュアリーグループが誕生。
83年、腕時計「パンテール・ドゥ・カルティエ」を発表。続いてアイウェア「マスト」、「VLC」を発表。85年、1943年の防水腕時計にヒントをえた腕時計「パシャ」を発表。87年、香水「パンテール・ドゥ・カルティエ」を発表。
93年、投資家グループにより、ヴァンドーム・グループ(現在のリシュモン)が設立される。現在では、リシュモンの傘下にカルティエ、ピアジェ、ボーム&メルシエ、ダンヒル、モンブラン、クロエ、スルカ、ハケット、シーガーなどのブランドがある。
2002年、「ロードスター」発表。2005年、カルティエ 南青山ブティックがオープン。日本国内では32店舗目、ダイヤモンドを連想させる外観は銀座2丁目ブティックも手がけたブルーノ・モワナーがデザイン。同時に青山との共生を図る「カルティエ青山芸術文化サロン」も発足。音楽家の坂本龍一らが参画し、シンポジウム開催やタブロイド誌発行などを手がける。
2008年、カルティエ世界初のオンラインショップを日本からスタート。