1969年、高田賢三がパリにブティック「ジャングル・ジャップ」をオープン。
ケンゾー(KENZO)はフランスのラグジュアリーブランド。メンズ&ウィメンズウェア、アクセサリー、香水など幅広く展開している。
創業者は、高田賢三(Kenzo Takada)。1939年、兵庫県に生まれる。実家は「浪花楼」という日本旅館を営み、和服の女性に囲まれて育つ。姉も洋裁の勉強をしていたことから服飾に興味を持ち出す。当時日本には男子を受け入れる服飾学校がなかったため神戸外国語大学に進学するが、在学中に文化服装学院が男子生徒の募集を開始するニュースを聞き、大学を中退し、文化服装学院に入学。
60年、文化服装学院在学中に「装苑賞」を受賞。61年、文化服装学院を卒業。卒業後はデザインの職につく。65年、単身パリに渡る。パリに渡った当初はデザイン画を売り、その中で既製服メーカーのビザンチに雇われたことがきっかけでパリで暮らすようになる。
69年に「ジャングル・ジャップ」と自ら差別用語を用い、パリでブティックをオープン。自身のブティックで、ささやかながら1970年春夏コレクションを行なう。お金がなかったので日本から和服の生地を取り寄せて服を使ったが、それが功を奏して、着物地のワンピースが「ELLE」の表紙を飾る。
1970年、パリ・コレクションにデビュー。初のショーはパリのビクトワール広場を臨む「ギャラリー ヴィヴィエンヌ」で行われた。それから3年たち1972年、5回目のショーはドロテビス(デザイナー:ジャクリーヌ・ジャコブソン)やシャンタル トーマスらとのジョイントで、サレ・ワグラムで行われた。
新しいものを多く採り入れ、ファッションの既成概念をことごとく打ち崩した。花柄を多用し、カラフルな色彩、世界の民族衣装も積極的に採り入れる。ペザントルックやレイヤード等、和洋折衷の妙に溢れた独自の作風と色彩の斬新さでモード界に多大な影響を与え、70年代のファッション業界をイヴ・サンローランとともに引っ張った。
83年にはメンズウェアライン、86年にはスポーツウェア(カジュアルウェア)ラインの「ケンゾー・ジーンズ」と「ケンゾー・ジャングル」を発表。ライセンス展開も積極的に行い、タオルやTシャツなどが一般にも普及した。
80年代後半あたりから経営難に陥り、93年、LVMHがケンゾーの株式を買い取る形で新会社を設立。高田賢三はケンゾーの創作活動に専念することになった。しかし経営側との意見がマッチせずに99年10月7日に行われた2000年春夏コレクションで引退。後任にレディースはジル ロズィエ、メンズはデンマーク出身のロイ・クライスベルグが就任。2004年春夏より、クリストフ・ブロンダンがメンズ・プレタポルテのアーティスティック・デザイナーを務める。
高田賢三は自身の名を冠した「高田賢三」という新会社を設立。2002年にブランド「YUME」を発表した。
2004年秋冬より、アントニオ マラスがレディース・プレタポルテのアーティスティック・デザイナーを務める。メンズに関しては、デザインチームがレディースとテーマを合わせてコレクションを発表している。
2011年、アントニオ マラスに代わりオープニングセレモニーの創設者ウンベルト・レオン(Humberto Leon)とキャロル・リム(Carol Lim)がクリエイティブディレクターに就任。彼らは大学時代の友人。大学卒業後、共にニューヨークへ拠点を移し、ウンベルトはバーバリーとGAPで、キャロルはバリーでキャリアをスタートしていた。2002年には、ビジネスパートナーとしてニューヨークにオープニングセレモニーをオープンしている。
2015年、ケンゾーがエビアンのボトルをデザイン。2016年、H&Mとコラボレーションを発表。
2017-18年秋冬シーズンには、高田賢三のアーカイブを再現したカプセルコレクション「メメント(Memento)」を発表。高田賢三が好んで使ったコットンを多用し、フラワープリントやアニマルモチーフはリアルに再現した。
2018年12月、キッズラインが日本初登場。東京・ジャイル表参道の「ケンゾー 表参道」にて取扱いをスタート。
2019年6月、ウンベルト・レオンとキャロル・リムが退任し、2019年7月1日より、フェリペ・オリヴェイラ・バティスタ(Felipe Oliviera Baptista)が新クリエイティブディレクターに就任。
2020年10月、創始者の高田賢三が逝去。
2021年6月末を持って、アーティスティック・ディレクターのフェリペ・オリヴェイラ・バティスタが退任。
2021年9月、ア ベイシング エイプの創業者でありヒューマンメイドも手掛けるNIGO(ニゴ)がアーティスティックディレクターに就任。
NIGO(本名 長尾智明)は、1970年生まれ。 89年、文化服装学院エディター科(現在の情報科)に入学。その年 、高橋盾(現アンダーカバーのデザイナー)に文化服装学院で出会う。藤原ヒロシに顔が似ていることから、藤原ヒロシの「2号」の意味でNIGOという名前になった。91年に文化服装学院卒業。マガジンハウスの「ポパイ」「宝島」での仕事を始め、数社でライターやスタイリストを経験。93年、原宿にショップ「NOWHERE」オープン。同年、映画「猿の惑星」熱狂的ファンのNIGOと、当時コーネリアス系のデザイナーとして有名なスケシンが意気投合。同シリーズをモチーフとした「A BATHING APE(ア ベイシング エイプ)」を設立。2010年秋冬より「ヒューマンメイド(HUMAN MADE)」設立。ア ベイシング エイプを離れた後、2014年春夏にユニクロ「UT」クリエイティブディレクターに就任。