1884年、ソティリオ・ブルガリがローマ、トリニタ・デイ・モンティで銀細工の店を創業。
ブルガリの創業者、ソティリオ・ブルガリは1857年、ギリシャで生まれる。代々銀細工師の家に生まれる。幼い頃から金銀細工師たちの仕事ぶりを目の辺りにしていたブルガリは、次第に金銀細工に興味を示し、ローマへ移った後、トリニタ・デイ・モンティで銀細工の商いを始める。
1884年、ローマのヴィアシスティーナに最初の店をオープン。現在、この店はブルガリ本店として位置づけられている。ソティリオの後、息子のジョルジョが経営を継ぐ。ジョルジョはイタリヤルネッサンスの美術を探求しながら、独特の造形を生み出した。40年代には腕時計の開発に着手。
70年代にはパリ、ニューヨーク、ジュネーブなどに出店。1977年、時計のライン「ブルガリ・ブルガリ」を発表。これは今でもブルガリの人気商品となっている。
84年、パオロ・ブルガリがグループの会長に、ニコラ・ブルガリが副会長に、2人の甥であるフランチェスコ・トラーパニが27歳で社長に就任。90年代にはトラーパニのリーダーシップで、香水、磁器を素材にしたジュエリー、アイウェア、スカーフコレクション、レザーコレクション、ホームデザインを次々と発表。スイスにブルガリ・パルファム社を設立して「オ・パフメ」を発表。香水の業界に本格的に進出した。1993年、グリーンティーをベースにした、初の香水「オ・パフメ」オーデコロンを発売。1994年には香水「ブルガリ」を発売した。
95年、香水「ブルガリ」と「オ・パフメ」のバスラインを発売。95年に、カボション・カット用いた「チェルティカ」を発表。シリーズ名の由来は「ケルト的な」の意味で、ケルト民族の装飾品をモチーフとしている。
96年、バーゼルにおいてラットラパンテ・クロノグラフウオッチである「グランドコンプリカシオン」、「ブルガリ・ブルガリ」の新モデル、「スポーツ」の新ラインを発表。5月、組紐をモチーフとした「トリカ」ジュエリーラインを発表、「オ・パフメ」の香りの濃縮度を高めたバージョン「エクストレーム」の販売を開始。9月、アイウェアの製造及び販売に関し、ルックスオッティカ社と契約。年末には、ブルガリ初のスカーフコレクション、「アクエレッリ」を発表。
97年「XLリング」コレクションを発表(「XLシリーズ」を発表した)。また、母と子のためのフレグランス「プチママン」の販売を全世界的に開始。この年、ブルガリとサルヴァトーレ フェラガモによる、香水部門のジョイント・ベンチャー契約が成立。初のスキンケア製品「イドラ・テ・ヴィタリザン」を日本にて先行発表した。
98年アルミニウムとラバーを使用した「アルミニウム」ウォッチを発表。値段の割りに質がいいというお手頃感が受けて、若者層を中心に全世界的に大ヒットとなる。1999年「B.zero1」ジュエリーシリーズのリング発売。2000年、新作のフレグランス「ブルガリ・ブルー」を発売。
ブルガリは、2000年代に入り、企業グループとしての規模を拡大。以後、時計ブランドのダニエル ロート、ジェラルド ジェンタなどを傘下に収め、マニュファクチュールとして時計の製造体制も整備している。
2002年、象徴的な円形デザインと、サイドにブルガリのダブルロゴあしらった「B.zero1」のバッグとリーズナブルな価格帯で使用用途、場所を選ばないをモチーフにした時計「ビーゼロワン:B Zero 1」発売した。
2005年、建築のテクニックをイメージさせる時計ライン「アショーマ」を発表。2009年、バービー誕生50周年を記念してアクセサリーの特別コレクションをデザイン。
2022年、指揮者のロレンツォ・ヴィオッティがブルガリのグローバル ウォッチアンバサダーに就任。
2024年、ブルガリ イル・チョコラートのバレンタイン「ブルガリ サン・ヴァレンティーノ2024」のアンバサダーに、歌手・俳優の中島健人が就任。