1920年、ハリー・ウィンストンがプレミア・ダイヤモンド社をニューヨーク五番街535番地に設立。その会社を基盤に32年にハリー・ウィンストン社を設立。
「ハリー・ウィンストン(HARRY WINSTON)」は、アメリカのジュエリーブランド。「宝石そのものに合わせてジュエリーのデザインが決まる」という信念に基づき、最高級ジュエリーの製作、高級複雑時計の製造を行う。
「ハリー・ウィンストン」を象徴するスタイルのひとつに、「ウィンストニアン・スタイル」と呼ばれる手法が挙げられる。宝石と宝石を細いプラチナのワイヤーでつなぐことにより、地金の使用を極力抑え、あたかも宝石だけが散りばめられているかのようにみせる独自技術は、ジュエリーに立体的な輝きを与え、宝石の美しさを最大限に引き出した。
1920年、プレミア・ダイヤモンド社(The Premier Diamond Company)をニューヨーク五番街に設立。
1932年、プレミア・ダイヤモンド社に代わり、自身の名を冠した会社「ハリー・ウィンストン社」をニューヨーク五番街に設立。宝石のリメイクや売買に加えて、ジュエリーのデザインを本格的にスタート。その後、リメイク、デザイン、売買で功績を上げ「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれるようになりジュエリーの世界で確固たる地位を築き上げる。
1943年、アカデミー賞の授賞式に着用するジュエリー貸し出しを、他の宝石ブランドに先駆けて提案。ハリウッドスターの身に着けるジュエリーは現在でもアカデミー賞ファッションの目玉となっている。
1949年、ルイ14世やマリー・アントワネット等の有名人が所有し、所有者を不吉な運命に導いたという世界最大(45.52カラット)の伝説の青いダイヤモンド「ホープ・ダイヤモンド」を獲得。そして同年から53年にかけて、アメリカ国内の主要都市を巡った大展示会「コート・オブ・ジュエルズ(宝石の宮廷)」において、このブルー・ダイヤモンドを展示。
1958年、“全世界への贈り物”として、「ホープ・ダイヤモンド」をスミソニアン博物館に寄贈。64年にも世界最大級(253.7カラット)の無傷に近いダイヤモンド原石の完璧な結晶体「オッペンハイマー」を同博物館に寄贈している。
1972年、ダイヤモンド原石のなかで、史上3番目の大きさの970カラットの「スター・オブ・シエラレオネ」を購入。ジュエリー・ カッターのラザール・キャプランにより、総計で238.43カラットの重量をもつ、総数17個のダイヤモンドにカットされる。
1988年、日本初のサロンが銀座にオープン。1989年、時計の製造を開始。
2011年、歴史的遺産、伝統や文化を通じた旅をダイヤモンドとプラチナを使って表現したハイジュエリー・コレクション「アドーメント・コレクション」を発表。
2013年、スイス最大のウォッチグループ、スウォッチグループの一員に。
2015年10月、銀座本店リニューアルオープン。
ハリー・ウィンストン(Harry Winston,1896-1978)は、アメリカのニューヨーク生まれ。宝石商の息子として生まれる。
ハリーは幼少の頃から宝石の価値を見抜く力があり、質店で安く売っていた石の中から800ドルの価値があるエメラルドを見つけ出したと言う。ハリーが15歳のときには一家はロサンゼルスに移住。そこで父親が宝石店を開き、ハリーはそこで仕事を始める。
第一次世界大戦後、ヨーロッパ貴族が資金集めのために売り出したジュエリーを購入、それを当時の流行に合わせてリメイクし、価値を付けて売却する手法でビジネスを成功させる。(貴族の持つジュエリーは価値のあるものだが、先祖代々伝わるような古いものが多かった。)世界の上流階級層が所有する宝飾品を取り扱う宝石商への道を進んでゆく。