ジャンヌ・ランバンが、1889年、フランスのフォーブル・サントノーレに帽子店を開業。
ランバン(LANVIN)は、フランスのファッションブランド。ランバンはウィメンズウェア、メンズウェア、アクセサリーなど幅広く展開。ウェア以外にもインテリアなどにも進出し、ライフスタイルそのものをサポートするグローバル・ブランド。
ジャンヌ・ランバンは1867年フランス生まれ。13歳のときからパリの婦人帽子店で働く。1988年、フォーブル・サントノーレに帽子デザイナーとして店を開業。その後、娘のマリーブランジェのために作っていたドレスをきっかけに子供服の仕立を手がけるようになる。1890年親子服の専門店へと店を変える。その後若い女性用のイブニングドレスなども手がけるようになり、本格的にレディースウェアに参入する。
東洋的なシルエットや民族的なディテールをいち早く取り入れ、古い美術や絵画からインスピレーションを受けたエレガントなスタイルを確立した。スパンコールやビーズを使った巧みな刺繍技術、刺繍技術を用いた花や木の葉、リボンなどをモチーフにした装飾を施したドレスが好評を博す。刺繍の「ピクチャードレス」が賞賛を受ける。
また、布地を染色する事によりランバン・ブルーやアーモンド・グリーン、琥珀色など、絶妙な色彩を作り出し、人々を魅了した。特に透明感のある深いブルー、ランバン・ブルーを好んで、多くの作品で使用した。
20年代、ランバンはにはよりシンプルで活動的な女性のめたのスタイル、ギャルソンヌ・ルックを取り入れ、シャネルなどと主に活躍した。
1925年香水部門、26年紳士服部門を設立、27年、香水「アルページュ」を発表しこれが大ヒット。事業を徐々に拡大させていった。女性としてはじめてレジヨン・ドヌール勲章を受勲する。
37年、パリ・オートクチュール協会の会長を務め、ファッション界へ大きく貢献。
ジャンヌ・ランバンの引退後もメゾンは継続され、アントニオ・カスティーヨ、ジェールフランソワ・クラエ、メリル・ランバン、クロード モンタナ、エリック・ベルジェール、クリスティーナ オルティスなど時代を代表するデザイナーが就任し、デザインを続けてきた。
2001年にはアルベール エルバスがデザイナーに就任。メンズウェアはエルバスのディレクションのもと、ヘッドデザイナーとしてルカ オッセンドライバー(Lucas Ossendrijver)がデザインを担当。
エルバスのデザインは、コレクションのハイライトとして取り上げられ、トレンドセッターとしての地位を確立。美しいドレープのドレスをはじめ、エレガントかつフェミニンなデザインが特徴。その他、グログランリボン、フリル、フェザー飾り、フリンジなどを取り入れたディテールテクニックも繊細でフェミニンな要素を作り出している。
ランバンは、オッセンドライバーの活躍もあり、メンズコレクションの分野でも話題となった。トレンドに流されない、エレガントなミニマリズムの時代をランバンにもたらした。
2008年、アクネとのコラボレーションでデニムのコレクションを発表。デニムラインは、デニム素材を活かした、パンツの他、ドレス、ジャケットやコートもトレンチやタキシードタイプのものまで、幅広く取り揃える。2009年、ロンドンに旗艦店をオープン。
2015年10月、アルベール・エルバス(Alber Elbaz)のアーティスティック・ディレクター退任を発表。2016年、ブシュラ・ジャラール(Bouchra Jarrar)がウィメンズウェアのアーティスティック・ディレクターに就任したが、2017年に退任し、後任に元バルマン オムでディレクターをしていたオリヴィエ・ラピドスが就任した。
2018年11月、ルカ オッセンドライバーが14年間務めたメンズウェアのアーティスティック・ディレクターを退任することを発表。
2019年1月、ブルーノ・シアレッリを新たなクリエイティブ・ディレクターに任命した。
2023年4月、ブルーノ・シアレッリがクリエイティブ・ディレクターを退任。
2023年6月、創造的なコラボレーションとユニークな文化的対話を促進することを目指す新プロジェクト「ランバンラボ(LANVIN LAB)」が誕生。同プロジェクトはコラボレーションコレクションの形をとり、シーズンごとに様々な分野のクリエイターを招聘してコレクションを展開する。初のクリエイティブディレクターには、グラミー賞受賞アーティストであるフューチャー(Future)が就任。
2024年、ピーター・コッピング(Peter Copping)がメンズ&ウィメンズのアーティティックディレクターに就任。
ピーター・コッピングはイギリス出身のデザイナー。ロンドンのセントラル・セント・マーチンズとロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業。その後、ピーター・コッピングはソニア リキエル、クリスチャン ラクロワでのインターンでキャリアをスタート。後に、ルイ・ヴィトンでマーク ジェイコブスとともにウィメンズ部門の責任者を担当。この経験を活かしてニナ リッチ、その後、オスカー デ ラ レンタのクリエイティブディレクターに就任。24年、1970年代にアントニオ・カスティーヨの下でランバンのデザイナーとして働いていたオスカー・デ・ラ・レンタがコッピングをランバンの後継者に推薦し、アーティスティックディレクターに就任。コッピングはバレンシアガのクチュール部門の責任者としても活躍している。