1885年、パリ・プレタポルテ・コレクションで自身の名を冠したブランド「マルティーヌ シットボン」を発表。
マルティーヌ・シットボン(Martine Sitbon)。1951年、モロッコのカサブランカ生まれ。父はフランス人。母はイタリア人。10歳でパリに移住。60年代後半の社会変革をまじかで目の当たりにする。
74年、パリのスチュディオベルソーを卒業。卒業後世界各国へ旅行し、各国のファッションを学ぶ。ミラノ、ニューヨーク、メキシコ、香港等、旅先で織物や布地に触れ、それが後の彼女の作品に大きな影響を与える。同時にドミニク・ベクレールのスタイルオフィスでデザイナーとしての仕事を始める。その後、ダニエル・エシュテルのアシスタント・デザイナーを務める。
85年、パリでブランド「マルティーヌ シットボン(Martine_SITBON)」としてコレクションを発表。マルティーヌシットボンは90年代当初グランジ・ムーブメントと関係性のあるファッションを提案。そのようなスタイルに加え、世界各国でインスピレーションを受けてきたさまざまな文化を取り入れた。マルティーヌシットボンの服は黒が基調なものが多く、シックなロック調。
86年、ニューヨークの「パラディアム」の招待を受け、コレクションを発表。88年、東京コレクションに参加。カール ラガーフェルドの後任として、88年-92年までクロエのクリエイティヴ・ディレクターを務める。
90年、セカンドライン「マルティーヌシットボン 2」を開始。同年、大阪「ワールド・ファッション・コレクション」に招待される。91年、セカンドラインを「マルティーヌ シットボン 2」から「マルティーヌ シットボン ファンタジー」に変更。
95年、パリに世界初の旗艦店をオープン。1998S/Sシーズンより日本市場における独占販売契約を株式会社バスストップと締結。1998-1999A/W から株式会社バスストップと提携し、「プリモプリマ(PrimoPrima)」のデザインを手掛けた。2000年春夏よりメンズウェアのラインをスタート。
2002年春夏より、ビブロスのレディースウェアラインのデザイナーを務めるが、自身のブランドに専念するため1年でビブロスから離れる。 2004年、サンフレールが独占販売権を取得。
2004年にパリコレクションから姿を消し休養に入る。マルティーヌ シットボンというブランドはここで休止される。
2007年春夏シーズンより、3年の充電期間を経てシットボンは「リュ ドゥ マイユ(Rue du Mail)」というブランドの創業デザイナーとして復帰。