1968年、ジル・サンダー(Jil Sander)がドイツ、ハンブルグにブティックを開設。
ジル サンダーはMs.ジル・サンダー(Jil Sander)が設立したファッションブランド。イタリアのミラノを拠点としている。
ミニマムなデザインをするブランドでは代表的な存在。高品質な素材、精度の高いカッティングを追求している。シャツ、コート、ジャケットなど機能性を追求したシンプルなデザインのアイテムが人気。
創業者はジル・サンダー(Jil Sander、本名はハイデリー・イリーネ・ザンダー)。1943年、ドイツのハンブルグ生まれ。クレフェルド・スクール・オブ・テキスタイル卒業。アメリカのカルフォルニア大学に2年間在籍後、ニューヨークで雑誌社に勤務し、「マッコールズ(McCall's)」、「コンスタンツ」などの女性誌のファッションジャーナリストを経て、65年に帰国。
68年にハンブルクにブティックを開設。当初はミュグレー(ティエリー・ミュグレー)、ソニア リキエルの服を中心に販売し、それらに加え、わずかながら自身のデザインした服を売っていたという。
ジル・サンダーのデザイナーとしての活動は次の時代の成功と比較すると決して順風満帆ではなかった。彼女がデザインを始めた70年代半ばから80年代始めあたりまでは、クロード モンタナがデザインするようないわゆる「気前がよく、カラフルで派手」な服が主流。彼女のデザインの特徴である洗練されて繊細、かつ品質にこだわったミニマルなデザインが、本当の意味で認められるのは90年代、時代の流れが変わるのを待たなくてはいけなかった。それでもジルサンダーのブランドが70年代から80年代を乗り越えることができたのは香水の売上が順調に伸びていたことが要因として挙げられている。
73年にパリ・プレタポルテ・コレクションにデビュー。80年にパリ撤退。85年よりミラノヘ活動の場を移し、87年にミラノコレクションに参加。
89年、ジル サンダー社をドイツのフランクフルト市場にて上場を果たし、海外への大規模な事業拡大が可能になる。1997年秋冬よりメンズラインを開始。98年、プーマとコラボレーションでレザースニーカーを発表。
99年、プラダグループがブランドの絶頂期にジル サンダー社の株式75%を取得するかたちで買収。ブランド売却後、グループの総帥であるパトリッツィオ・ベルテッリとの不仲を主たる理由に、2000年秋冬を最後にデザイナーを辞任。不仲の理由は素材の品質を落としたくないというジル サンダーとコストを考えるグループの対立と言われている。引退前の2000年春夏のコレクションは、それまでのジルとは違い、華やかなデザインが多く発表され、好評を博した。
ジル・サンダーの引退後、ジル不在となった後のデザインはプラダのデザインチームが行った。2000年12月に新クリエイティブ・ディレクターとしてミラン ヴィクミロビッチが就任。(ヴィクミロビッチは短期間だがグッチのデザイン・ディレクターを務めたことがあり、パリの有名なセレクトショップ「コレット」の元バイヤーだった。) その後、ヴィクミロビッチが全てのショーと広告キャンペーンを担当した。
2003年5月、ジル・サンダーがプラダグループの呼びかけによりデザイナーに復帰。2004年春夏ミラノコレクションよりデザインを手がけているが2004年11月、プラダとの不調和を理由にジル・サンダーは再び辞任した。
2005年より、ラフ シモンズがジル サンダーのメンズウェア及びレディースウェアのクリエイティブ・ディレクターを務める。2006年、投資ファンド会社のChange Capital Partnershipがプラダからジル サンダー社を買収。
2007年春夏シーズンのシモンズによるレディースコレクションはミニスカート、ミニドレス、細身のパンツなどが中心でミニマルなデザインを打ち出す。さらに色使いと、素材、シモンズが得意としているテーラードのスタイルの組み合わせが素晴らしく、高い評価を受けた。以降、シモンズの手腕もあり、ジル・サンダーの「カラー」、「シルエット」、「機能性」と、そのコレクションは世界中で高く評価された。
2008年、日本のオンワードホールディングスがジル サンダーを買収。
2009年、ダミアーニとコラボでイアリングとブレスレットの限定コレクションを制作。
2011年春夏シーズンより新ライン、「ジル・サンダー ネイビー(JIL SANDER NAVY)」の展開をスタート。2011年、東京で、2012年春夏のショーを東京・国立新美術館で開催。2012年8月に東京・青山に世界初の旗艦店をオープンした。
2012-13年秋冬コレクションを最後にラフ・シモンズがクリエイティブディレクターを辞任することが発表され、後任には創業者のジル・サンダー自身が復帰することになった。その後、ラフ・シモンズはディオールのデザイナーに就任した。2013年、2014年春夏コレクションを持ってジル・サンダーが退任。デザインチームがブランドを引き継ぐこととなった。
2014年4月、新クリエイティブ・ディレクターにロドルフォ・パリアルンガ(Rodolfo Paglialunga)が就任。2015年春夏コレクションで初のクリエイションを手がけた。
2017年、ロドルフォ・パリアンガが退任。後任として、ルーシーとルーク・メイヤー夫妻がクリエイティブディレクターに就任した。
2019年春夏シーズンをもって、「ジル・サンダー ネイビー」の展開を終了。
2019年春夏シーズンより、「ジル・サンダー」表記から「ジル サンダー」表記に変更。
2019-20年秋冬シーズンより新ライン「ジル サンダー+(Jil Sander+)」の展開をスタート。(読み方はジル サンダープラス。)
2021年、ディーゼル、マルニ、メゾン マルジェラなどを展開するOTBグループがオンワードホールディングスからジル サンダーを買収。
ルーシー・メイヤーは、スイスで生まれる。母はオーストリア人、父はドイツ人。イタリアのフィレンツェでマーケティング、パリでデザインとファッションについて学ぶ。その後、マーク・ジェイコブス率いるルイ・ヴィトンで5年間のデザインチームでキャリアを積む。その後、バレンシアガでニコラ ジェスキエールの元で活躍。ラフ シモンズに認められ、ディオールに移籍。レディースのオートクチュールとレディ・トゥ・ウエアのヘッドデザイナーに就任。ラフ シモンズ退任後は、ディオールの共同クリエイティブ・ディレクターとして5つのコレクションに就任した。
ルーク・メイヤーは、カナダで生まれ。母はイギリス人、父はスイス人。アメリカの名門ジョージタウン大学でファイナンスと国際ビジネスを学んだ後、イギリスに渡り、オックスフォード大学で経営学を専攻。ニューヨークのFITに通う。メンズブランド「OAMC」を共同設立者としてローンチ。自身のブランドも世界で100を超える店舗で販売されている。