1851年、ジョン・エマリーが「アクアスキュータム」を開始。
アクアスキュータム(Aquascutum)はイギリスのファッションブランド。トレンチコートが有名。アパレル関係以外にも、眼鏡、傘、靴、寝具、ジュエリーなど様々なアイテムを展開している。
1851年、ジョン・エマリー(John Emary)がロンドンの高級住宅地メイフェアに高級紳士服店としてアクアスキュータムの前身となる「エマリー&カンパニー」をオープン。
1853年、防水加工を施したウール地を開発。この素材で仕立てたレインコートがビクトリア時代の紳士達の最先端ファッションとして普及。同時に、店の名前をアクアスキュータムと改称。これはラテン語で「水(Aqua)」と「楯(Scutum)」を組み合わせた造語で「防水」を意味する。
1854年、極寒のロシアでのクリミア戦争で防水性のコートが将校達に支持された。軽騎兵に突撃の合図をする際、もっと腕を動かしやすいようにとの要請で、ラグラン卿が考案したラグラン袖を導入。
着道楽で有名だったエドワード七世も、雨の日のセント・ジェームズ宮殿で側近達の着ていた水を弾くコートに魅せられ、ここからその名声がヨーロッパの王室に広まった。1897年、エドワード七世(当時はエドワード王子)から王室御用達の勅許状を賜り、名実ともに英国を代表するブランドとなる。
1895年、リージェント・ストリート100番地に移転。 防水加工の施された婦人物のコートの生産も開始。1900年、婦人服部門を開設した。
1914年から始まる、第一次世界大戦において、アクアスキュータムの防水ウールの将校用コートが活躍。このコートは塹壕で戦う兵士たちの身を守ったことから。トレンチ(塹壕)コートと名付けられた。戦後その機能とファッション性が一般の人々にも受け入れられ、ブームを巻き起こした。
48年、ニューヨークに進出し、エンパイヤ・ステートビルにショールームを構えたが、間もなく東37番街に移転。その後、さらに広いスペースを持つ五番街に再度移転。カナダのモントリオールには、北アメリカ大陸中の何百という小売店に商品を供給するための工場を建設。 20年から36年にかけてエドワード七世の孫にあたる後のウィンザー公から、さらに52年には皇太后陛下からも王室御用達の勅許状を賜る。
53年、エドマンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイはエベレスト山を征服したが、その時着ていたフードつきのジャケットとズボンは「ウィンコル D.711」という木綿とナイロンを混紡した布地で作られていた。風洞実験で時速100マイルの風力に耐えたこの素材は、後にアクアスキュータムのレインコート地に使われた。
1959年、綿100%の防水素材「アクア5」を開発。
イギリスではバーバリーと並んで権威あるブランドに成長した。
2000年、イギリス人デザイナー、マイケル・ハーツ(Michael Herz)がレディース・チーフデザイナーに就任。2001年、グレアム・フィドラー(Graeme Fidler)がメンズのデザイナーに就任。同年の「リミテッド・コレクション」シリーズを発表。「リミテッド・コレクション」とは、アクアスキュータムが歴代の逸品を集めて保存しているコレクションである「アーカイブ・コレクション」から得たインスピレーションをもとに、現代風にアレンジしたコートのコレクション。
2010年、マイケル・ハーツとグレアム・フィドラーがデザイナーを辞任。彼らはバリーのデザイナーに就任した。
1990年、日本のレナウンの傘下に入るが、2008年にアクアスキュータム展開する子会社を売却。その後、イエーガーなどを経営するハロルド・ティルマンの企業グループの傘下として再建を目指したが、2012年に経営破綻を発表。
2014年
2017年、レナウンが日本国内における商標権を取得。2015年、「アクアスキュータム ホワイトレーベル」をスタート。
2020年、レナウンの経営破綻に伴い、小泉グループのオッジ・インターナショナルに事業を譲渡。
レーベルとしての取り扱いであったが、2024年秋冬シーズンより、アクアスキュータム ホワイトレーベルをリブランディング。メンズ・ウィメンズのユニセックスブランドとして展開する。キーワードは、「TRADITIONAL×TRANSITION=WAY」(traditional[伝統]×transition[遷移- せんい・移り変わり]=WAY[道のり])。