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アナ・スイにインタビュー、“全ての物事に意味がある” - 夢を生きるファッションデザイナーの軌跡

アナ スイ 2021年秋冬コレクションより
アナ スイ 2021年秋冬コレクションより

今や世界的なファッションブランドとして知られるアナ スイ(ANNA SUI)。フェミニンでロマンティックな要素を取り入れながら、ロックの精神を注入したファッションは、唯一無二の世界観で、いつの時代も人々に沢山の刺激を与えてきた。

アナ・スイにインタビュー、“全ての物事に意味がある” - 夢を生きるファッションデザイナーの軌跡|写真1

1980年の設立以来、そんなブランドの物語を紡いできたのが、──言わずもがな、女性デザイナーのアナ・スイである。子供の頃からの夢見たファッションデザイナーへの道、“偶然”がもたらした奇跡の連続、そして世界的なデザイナーとなった現在の最新作に至るまで、“夢を生きる”彼女の軌跡にフィーチャーする。

  1. “ファッションガール”だった少女時代
  2. “偶然の始まりだった?!”ブランドの創業
  3. 「アナ スイ」に欠かせない“運命的な出会い”
  4. デザイナーとしてのアナ・スイ
  5. 「キプリング」とコラボレーションバッグ発売へ

“ファッションガール”だった少女時代

叔父・叔母の結婚式を訪れた幼少期
叔父・叔母の結婚式を訪れた幼少期

■アナ・スイさんは、子供の頃からファッションがお好きだったそうですね。聞いた話によると、4歳の頃からデザイナーになりたかったのだとか?

はい。叔母と叔父の結婚式のフラワーガールをするため、4歳の頃に自宅のデトロイトからニューヨークへ行きました。これまで見たこともないその魅力的な大都市に惹かれた私は、自宅に帰った後、両親にこう告げたんです。「私は大きくなったらニューヨークに引っ越して、デザイナーになりたいわ」って。それが今こうしてデザイナーとなっている成り行きです。

その“運命のニューヨーク”の後、私は子供なりに精一杯ファッションについて学ぼうと心がけました。スーパーの雑誌売り場なんかを見つけると、母に『VOGUE』を買ってもらえるように、よくせがんだものです。(笑)そしてそういった雑誌からは、映画スターやポップスターがどんな着こなしをしているのかを、自分なりに研究していましたね。

■子供の頃から、本当にファッションに夢中な女の子だったんですね!当時ご自身のクローゼットの中で、お気に入りだったお洋服も覚えていますか?

もちろんです。当時の一番のお気に入りは、母におねだりして買ってもらったフラワープリントのロングドレスでした。私は大満足で学校に着ていきましたが、当時周りにロングドレスを着ている子供なんて一人もいなかったかったので、“あの子ってちょっと変わっている”なんて、クラスメイトから見られていたのだと思います(笑)

■洋服作りも子供の頃から始めたのだとか。実際初めて洋服を作ったのはいつですか?そして、どんなデザインだったのでしょう?

最初の洋服作りは、学校の家庭科の授業で、そこで初めて洋服をどのように裁縫するかを学びました。一番最初のプロジェクトは、ベーシックなブラウス作りでしたので、私は母と生地選びのショッピングに行き、ターコイズペイズリーの美しい生地を選びました。その時私は、“これは世界で一番美しいブラウスだわ”って思ったんですよ。

アナ スイ 2000年フォールコレクション
アナ スイ 2000年フォールコレクション

■当時から洋服作りがお好きだったんですね。そんなアナさんのファッションデザイナーに対する夢に対して、ご家族は昔から協力的だったのでしょうか?

おそらく一般的な家庭同様、私の両親も、娘が医者や弁護士になったり、普通の大学に通って学位を取得することを望んでいたのだと思います。けれど私が10代で、ファッションの道を進むために、ニューヨークのパーソンズ美術大学へ行くと決断してからは、私の両親は非常に協力的だったと断言できます。実際私の父は、自分の仕事を増やしてまで、私の夢をサポートしようとしてくれたほどでした。ふたりが温かく見守ってくれたことは、今でも本当に感謝しています。

“偶然の始まりだった?!”ブランドの創業

リンダ・エヴァンジェリスタ、ナオミ・キャンベルと
リンダ・エヴァンジェリスタ、ナオミ・キャンベルと

■パーソンズ美術大学を卒業したのち、1980年に自身の名を冠した「アナ スイ」を設立しました。当時女性が起業することは、今よりもずっと困難だったと思いますが、創業時のエピソードを詳しく教えてくれますか?

実は「アナ スイ」の設立は、誰もが予期せぬ偶発的な出来事だったのです。

当時はパンクロックの時代で、私の友人がそのテイストを取り入れたクールなジュエリーを国内のブティックやイギリスなどで展開していました。私自身昔からこのカルチャーに夢中でしたし、自分も同じようにクリエーションをしたいと思い、彼らとブースを共有して、5つのピースで構成した小さなコレクションを発表したのです。

そうすると思いがけず色んな方の目に留まり、最終的にはデパートからオーダーを受けたり、ショーウィンドウに飾られただけでなく、さらには「ニューヨークタイムズ」の広告にも掲載されることにもなりました。

その当時、私は会社員として企業に勤めていたのですが、どうやらそれが会社のルールに違反していたようで、当時のボスが私に電話をかけてこう告げたんです。「なぜ君の広告が、ニューヨークタイムズに載っているんだい?」そして私はクビになりました(笑)

これがブランド「アナ スイ」のビジネスを始めたきっかけなんですよ。突然起きた出来事でしたので、もちろんビジネスプランなんてありませんでした。

■ドラマティックな始まりだったんですね!「アナ スイ」設立後は、ブランドデビューにあたり、どんなファッションをデザインしましたか?

80年代初頭の当時、大きなショップなどが“若手デザイナーを育てるサポート”を大々的に行っていたので、私はその支援を受けたうえで、小さなコレクションを発表しました。その頃は化学繊維が主流でしたから、私は高い伸縮性を持つ“スパンデックスだけ”を使用して、クラブにはもちろん、デイタイムにも楽しめるようなデザインのピースを制作しました。コレクションの中にはスカートがついているようなレギンスもあって、それはとても当時らしいトレンディーなものだったといえますね。

ブランド初期の仕事場
ブランド初期の仕事場

■デビュー当時を振り返ってみて、コレクション制作の上で何に一番苦戦しましたか?

先ほどのお話通り、私は明確なビジネスプランを持たずにブランドを始めたので、ビジネスを運営する上での資金を持ち合わせていなかったことが、最も苦戦したことだったといえるでしょう。それ故、当時私たちは商品を受注して出荷するたびに、1円でも多くビジネスに還元しなければなりませんでした。

その後ブランドが成長していくにつれて、スタッフが増え手狭になったため、ロフトのようなアパートを借りました。しかし、次第にそこも手狭になったため、最終的にはガーメント・ディストリクト(NYのファブリック店が集まるエリア)に行って、小さなオフィスを借りることになりました。つまりどんな段階に行っても、金銭面での負担はついて回ったので、私はその頃からフリーランスの仕事も沢山受け持つようになりました。

■ブランドを持ちながら、フリーランスとしても活動されていたなんてパワフルですね。

初めの頃は、インドでフリーランスをしていましたが、イタリア版『VOGUE』の編集長フランカ・ソッツァーニからのオファーがあり、7,8年ほどイタリアでもフリーランスとして活動していたんです。それはその後のブランドの成長にも繋がる、非常に貴重な経験となりました。

何故なら私がまだ「アナ スイ」を立ち上げた時には、生地会社も請負会社も全てがニューヨークのエリアに集結していたたため、全てがアメリカ製、全てがこの地域で制作できる非常に便利な世の中でした。けれど数年の間に、そういったシステムはガラリと変わり、多くの会社が撤退したため、私たちはアメリカ製以外のファブリックを探さなければいけない状況に追い込まれていたからです。

つまりイタリアで働くことは、こういった資材の調達に関する知識をはじめ、ファッションにおける多くのリソースを学べる絶好のチャンスとなりました。そして何よりイタリアに飛び出したことで、世界はもっともっと広いのだという認識が芽生えましたし、こうした一連の経験によって、90年代に起きたブランドの世界的な発展にも備えることができたのです。

アナ スイ初のブティック
アナ スイ初のブティック

■「アナ スイ」は“薔薇”や“バタフライ”といったアイコニックなモチーフでも知られています。現在のブランドに通ずる、そういったアイコンが誕生したのもこの時期でしょうか?

そうですね。90年代に入り、「アナ スイ」が沢山の注目を集めだしたとき、私の友人の一人が「あなたは自分のブティックを持つべきだと思うの。ブランドの魅力を伝えるためにね」と助言をしてくれたことが全ての始まりです。

その日にソーホーに出向いた私は、初めてのオリジナルブティックとなる場所を、グリーンストリート113番地に見つけました。それは急な出来事でしたので、私はどうやってお店をデコレーションするか考えた末、フリーマーケットで見つけた家具の装飾にヒントを得て、まずは“薔薇の彫刻”といった象徴的なシンボルを作成したのです。

アナ スイ初のブティック
アナ スイ初のブティック

Photos(29枚)

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