花園神社(ハナゾノジンジャ)は、新宿区歌舞伎町に位置する神社。徳川家康の江戸開府(1603)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めており、徳川が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されたとされている。
寛永年代までは、現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にあったが、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまった。そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになった。その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・水戸藩)筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたと言われる。そして、その美しい花園の跡に移転し、花園稲荷神社と呼ばれたのが現在の社名の由来とされている。
新宿1、2を争う高さの大鳥居、昭和3年4月頃に建てられたといわれる威徳稲荷神社、本社神輿と雷電神輿の二基と獅子頭が納められている宝物殿、そして花園神社 拝殿とみどころは多数。敷地内の芸能浅間神社は、江戸の昔から芝居や舞踊の興行に縁が深かったため、演劇や歌曲など芸能関係の奉納が多いことで有名であり、宇多田ヒカルの母親として知られる藤圭子の歌碑も、このお社の隣に建てられている。