三代目 J Soul Brothersのリーダー兼パフォーマーとして、エグザイル(EXILE)のダンサーとして、さらには俳優として、活躍の幅を広げるNAOTO。彼は今、もう一つの顔として2015年からスタートさせた「スタジオ セブン(STUDIO SEVEN)」(※スタート当初はセブン(SEVEN))のクリエイティブ・ディレクターを務めている。ブランド誕生の時から変わらず、そのワードローブには、自身のバックボーンである音楽やダンスカルチャーをデザインに落とし込んできた。
4シーズン目を迎える今季、変わらず多忙な日々を送りながらもファッションと真摯に向き合う彼にインタビューを実施。これまでの活動、そして今後の展望を踏まえて、現在の想いをうかがった。
スタジオ セブンを立ち上げるきっかけを教えてください。
きっかけはHIROさんの言葉。僕自身、もともと洋服が好きだったのですが、それを知ったHIROさんから「そんなに服が好きなら何か初めてみたらどう?」と声をかけてもらいました。ブランドを初めてみるとか具体的なことではなくて、ファッションに関わる何かに挑戦してみたらいいんじゃないかと。
そのひと言が、僕の中でとても心に残っていて、ファッションで何ができるかを考えはじめました。最初は、洋服を作るというよりは、洋服を使って何かしらの表現が出来ればいいんじゃないかなあとぼんやり思ったりして。その構想をHIROさんに伝えたら、(所属事務所であるLDHが運営している)中目黒のPKCZ GALLERY(ピーケーシーズーギャラリー)に、作った服を置いてみたらというお話をいただけたんです。それがブランドのスタートラインでした。
音楽や演技など様々なことをこなされてきたNAOTOさんにとってでも、ファッションブランドのクリエイティブ・ディレクターは初めてのこと。不安はなかったですか。
不安はありました。正直今も不安を感じることがあります。でも、ブランドを立ち上げるかどうかを迷っていたとき、HIROさんから「LDHって、エグザイルって“挑戦”ができる場所なんだから、やってみたらいい」と後押ししていただけて、本格的に頑張ろうと思えました。
僕たちの事務所の子会社にあたるLDHアパレルという会社がもともとあったので、すでにベースとなる生産背景も整っていたんですよね。それも僕にとって大きな支えとなりました。
いざスタートする際、「こうしたい!」という考えなどはありましたか。
ダンスや演技に向き合う時と同じ姿勢でいたい。これは今も変わらない気持ちですね。
“姿勢”は具体的にどのようなことですか。
表現するために自分と向き合うことです。自分から発信したいものがあるとき、まず自分自身と向き合う作業はとても大切なことだと思うんです。だって、何を発信したいかを考える時、まずは自分の内側を見つめないと、発信したいメッセージが分からないから。
特にダンスは、自分の何がかっこいいかを把握しないと、理想のパフォーマンスに近づけない。鏡の前で自分と向き合って気づいたことを、改善していく作業が必要なんですよね。それは、洋服づくりにおいても同じだと思っています。表現したいものが何なのかをはっきりさせないと、皆さんに手に取ってもらえないんじゃないかなと。
表現するという上では、意外にも共通点があるのですね。とはいえ、これまでの活動にはない難しさがあったのではないですか。
もちろんありました。こうして姿勢を変えずに向き合ってはいますが、洋服に関しては圧倒的に知識量が少なすぎる。イメージはできているけど、アパレル用語が出てこないというのが、単純かつ一番僕のネックになった部分ですね。
例えば、「サテンがほしい!」と伝えたい時、「あのツルツルした生地って何ていうんだっけ?」というところから始まるような感じ。用語が出てこないときは、僕の持ってる服の中でイメージに近い生地の服を持ってきて、完成像をすり合わせることもありました。
今でも僕自身の知識が少ないので、とにかく日々勉強・日々経験するしかない。知識を身に付けるだけでなくて、ファッションに携わり続けていく上で、本当に良いものを見たり感じたりすることが大事だとも思っています。
パリコレクションにも足を運ばれているとお伺いしました。
やっぱりショーを見ると見ないとでは、感覚的な何かが違うんです。具体的に何なのか、と聞かれると分からないのですが、確実に影響は受けています。広いフィールドで活躍されているデザイナーさんたちのクリエーションに触れることはとても刺激的です。
これまでNIGOさんや三原康裕さん(ミハラ ヤスヒロ)とコラボレーションされていますよね。その活動からも、何か影響を受けられたのではないですか。
めちゃくちゃ勉強させてもらっています。NIGOさんと三原さんのおふたりからは、モノづくりの手順はもちろん、その姿勢も教えていただきました。
NIGOさんとは、ブランドをスタートする前から親交があり、プライベートでもご飯へ行く仲でした。一度、スタジオ セブン立ち上げ前にも一緒に服を作る機会があったのですが、それがとても楽しかったんですよね。と言っても、僕にとってはカリスマ的な存在なので、その時も恐縮しながらでした(笑)。
三原さんとの縁も思い掛けないものでした。
高校生の時、ミハラ ヤスヒロの靴を履いていて、特に、その中でもお気に入りの靴があったんです。三原さんは、そのことを知り合い伝いで知っいていて。その後、その知り合いに「一緒に靴作りたいって僕が言っていたことを伝えておいて」と話していたのですが、すぐに承諾の返事がきたんです。
おふたりとコラボレーションができるって決まった時には「まじですか!?本当にいいんですか!?」って、聞き直すことからはじまりましたね(笑)。世界で活躍されているデザイナーの方々とご一緒できることは、本当にありがたいことです。
こうした経験を経てご自身の中で何か変化はありましたか。
ほんの少しだけ慣れてきたこともありますが、着実に変わってきてるなと感じています。
変化はどのようなところで感じられているのでしょうか。
以前は、僕に知識がないこともあり、頭の中にあるイメージをみんなで共有して、形にするまでにとても時間がかかっていました。でも今は、僕に知識がついてきたことだけでなく、制作に携わってくれるチームの皆とのコミュニケーションがスムーズになり、キャッチアップのスピードが格段に早くなっています。プリントや素材などは、僕のイメージ通り。あるいはそれを上回るサンプルが完成するので、作り直しもなくなり、短い時間で濃いものを作れるようになってきました。
それはとても素敵なことですね。
やっとチームが成熟しはじめてきたって感じかなあ。伝え方の“姿勢”と一緒で、チームという面でも、ダンスと共通している部分があるんだろうなと思いますね。
チームとしての成熟って、きっとダンスをする上で欠かせないことですもんね。
僕が所属している三代目 J Soul Brothersでもそうですが、年数がたつごとに、個々が成長するだけじゃなくて、チームとして成長していることを感じるんですよね。ダンスのスキルが圧倒的に上手くなってきたというのではなく、みんなが共通の意識を共有できるようになっていく。一緒に何かに取り組んでいると、人は個々でもチームでも少しずつ成長し、“良いもの”に近づいていくんだと実感しています。その感覚が、こうしてみんなで協力しあって服を作るにあたっても一緒だなと。
ファッションと音楽、NAOTOさんにとって実は切っても切り離せない関係があるのですね。
服づくりの過程で、僕自身の姿勢やチームの在り方に共通点があるっているのはその通りで。でも最終的に皆さんに見てもらうものにこそ、切っても切り離せない関係があるのだと思っています。
それはどのような部分でしょうか。
ライブやパフォーマンスを皆さんにお見せする僕らと、そのステージ上で着る服は濃密に繋がっているんです。そして、それが僕含めLDHが一番大事としていること。誰かに喜んでもらう、楽しんでもらう“エンターテインメント”は、音楽もファッションもすべてが掛け合わさってできているんだという考えが根本にあります。
NAOTOさんは今ちょうどその2つの中間にいる立場ですよね。やっぱりパフォーマーとして、クリエイティブ・ディレクターとして思うことはあるのではないですか。
“エンターテインメント”を上手く表現するため、自分が何をすべきかを先ずは考えます。アーティストとして関わっていく僕は、その架け橋としてどうあるべきなんだろうか。僕がその役目になれたらと。きっと両者の橋渡しがスムーズであれば、自分たちが目指している“エンターテインメント”により近づくことができるはずですから。