コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)の2025年春夏コレクションが発表された。テーマは「UNCERTAIN FUTURE」。
「unveil(=ヴェールをとり払う)」という単語に見られるように、「ヴェール」とは一般に、覆い、包み、遮ることで、物の在り様を隠すことに結びつけられる。衣服もまた、身体を隠すためのものだと捉えられやすい。たとえば、西洋絵画の伝統を思い起こすのならば、真理を表す女性像は、布をまとわぬ裸形の姿で表された。ヴェールとは、存在を隠蔽するものであらざるをえないのだろうか。
思うに、コム デ ギャルソンにとってその答えとは「否」である。そこでヴェールとは、存在の〈現れ〉にほかならない。半透明のヴェールは、幾重にも重なり、褶曲し、縺れる。あるいは、量感に満ちみちたパファー素材をその裡に含みこむ。1枚の平面としては曖昧なヴェールは、こうして大胆なボリュームを獲得し、身体のフォルムから遊離した造形──譬えるのならば、19世紀後半のクリノリンやバッスルによるドレスのように──を生みだしているのだ。
実際、存在を覆う幾重ものヴェールをうち払えば、ヴェールの先にある存在が明らかになるのだろうか。そもそもヴェールを払う行為とは、脱ぎ去りえない最後のヴェール、つまり神秘につき当たることを運命付けられているのではなかろうか。むしろ存在とは、ヴェール自体に宿る。存在とは布地の襞であり、様態である。なしえることは、だから、この布地を操ることで、襞の様態を変幻させることにほかならない。
ヴェールという可塑的な平面が織りなす、襞としての存在。こうして紡ぎだされた衣服は、変幻自在に身体をデフォルメした造形として立ち現れる一方、もはやエフェメラルな柔らかさを捨て去り、確固たるフォルムを示している。古代ギリシアの装いを彷彿とさせるプリーツドレスは、ビニールだろうか、ハリと光沢を帯びた素材感により彫刻的な佇まいを示す。量感を湛えたドレスにおける薄いファブリックすら、密に襞を織りなすことで、もはや風に動じる様子もない。
こうして衣服は、確固たる構造物としてその様態を現す。鮮やかな赤地に文様をあしらったドレスは、クリノリンを彷彿とさせる、膨らんだシルエットを示している。渦巻くようなプリーツは、布地が自在に織りなしうる襞のダイナミズムを、そのまま固化したかのようだ。そして、頭から身体までを包みこむ三角錐状のウェアや、柱を彷彿とさせるドレスへと及んで、衣服はそれ自体、厳格な構造へと研ぎ澄まされているといえるだろう。
襞を織りなし、構造物へと結晶化するコム デ ギャルソンの衣服は、身体のフォルムから積極的に逸脱し、自在に様態を現す。ここで、衣服は存在にとって、道具としてあるのではない。たとえば石は、斧のような道具を製作する際、用いられて使い果たされ、その存在は消え去る。一方、石を組みあげて神殿を築くとき、そこには石を用いることで開かれる可能性の空間が立ち現れる。こうして神殿は、素材を消滅させるのではなく、むしろ現れさせる。翻ってコム デ ギャルソンにおいては、ヴェールを織りなす襞の空間にこそ、存在の〈現れ〉を見てとれるように思われる。