ヒッピーのカウンターカルチャーは70年代前半には急速に終焉を迎える。それは反戦運動が結局はベトナム戦争の終焉には結びつかなかった点、ヒッピーを引っ張っていたミュージシャンの死などさまざまな理由が挙げられるが、いずれにしてもヒッピーは髪を切って街へと帰っていった。
それでも、ジーンズが、カウンターカルチャーの象徴として、一つの世界的なムーブメントに取り入れられたことは大きな意味を持った。それは既に作業服や低所得のアイテムではなく、ファッションのスタイルに組み込まれるものだったから。
事実、70年代以降、ジーンズがファッションとして世界の隅々で普及していく。
ヒッピーの終焉とともにジーンズは、次のカウンターカルチャー、パンクへと継承されていく。1969年に登場した、リーバイスのブーツカットジーンズ(スリムラインが特徴の577ジャケットも同様)は、アメリカ東海岸に始まるパンクシーンのスタイルに組み込まれていった。
パンクはアンチヒッピー的な立場で、ヒッピーの事なかれ主義、商業化されたロックなどあやるゆものに対抗して生まれたカルチャー。
1975年頃、ニューヨークのパンクバンド「テレビジョン」は、Tシャツ、ジーンズを引き裂いたスタイルで登場し、新しい流れを作り出す。このスタイルはテレビジョンに影響を受けたバンド、ラモーンズにより、より抑えた形で継承されていく。
テレビジョンの活躍と、時同じくして、ロンドンでも同様にパンクの流れがくる。アメリカのパンクに影響を受けた、マルコムマクラーレン、ヴィヴィアン・ウエストウッド、セックス・ピストルズの登場だ。
こうしてジーンズは、再度、カウンタージカルチャー、アンダーグラウンドの象徴として取り入れられていく。引き裂いても、ダメージを与ええても長く使用できるジーンズの特徴がうまくファッションに結びついたのがパンクだったと言えるだろう。
ヒッピーの時と精神や、スタイルが異なっていたとはいえ、同じカウンターカルチャーの登場は同時に、カルチャーへの移行を意味している。
ロンドンパンクはピストルズの解散とともに停滞。商業的な波ににも飲み込まれていく。
パンクは現在にも影響を与えるムーブメントで、それは生き方、音楽、アート、文学などさまざまな要素を含んでいた。その中で、これまでのジーンズとは異なる使用のされ方をするジーンズは、新しいスタイル(引き裂く、ダメージを与える)をレパートリーに加え、よりポピュラーなファブリックになっていった。
第8章は、高級ファッションとジーンズ