モデルからキャリアをスタートさせ、現在では女優として数多くのドラマや映画に出演するほか、音楽、バラエティー、舞台と多方面で活躍を見せている剛力彩芽。彼女は小さい頃に抱いた夢を追いかけて、今の姿を実現している。
そんな彼女のイメージといえば、笑顔の絶えないポジティブな印象ではないだろうか。このインタビューでは、まさにイメージそのままに終始笑顔を絶やさず赤裸々に自身のことを語ってくれた。
2017年は25歳を迎える節目の年。ジョルジオ アルマーニ(Giorgio Armani)のカジュアルラインである「A|Xアルマーニ エクスチェンジ」のアンバサダー就任も決定しており、その活躍ぶりはさらに幅を広げることになりそうだ。剛力彩芽の原点に迫るとともに、これからの展望を伺う。
この仕事を始められたきっかけは。
7歳ぐらいの時に、遊園地に遊びに行ったらたまたま雑誌のイベントがあって。スナップ写真を撮らせて下さいと声をかけられました。初めてだったのですが、写真を撮ってもらうことが楽しくて楽しくて。それがきっかけでモデルになりたいと思いました。
その頃からファッションへの興味はあったのでしょうか。
もともと、幼稚園の頃から洋服が大好きでした。母親も祖母も洋服好きで、当時は一緒にデパートに行っては買ってもらうという感じでした。一緒に行ったとしても自分で決めないと気が済まなくて。買ってもらう服は、自分で探して「これ!」と決めたら断固として変えなかったです。そして、買ってもらったものは洗濯する度に、物干し竿から自分で取って、また着るぐらいに、お気に入りの服を着続けていました。
モデルなりたいと思われてから、すぐこの世界に入られたのでしょうか。
私が入ったのは10歳です。当時、受けられるオーディションが少なくて、1ヶ月に1度オーディションがあれば多いぐらいの頻度。その中で、所属事務所が主催している国民的美少女コンテストにも応募したのですが、2次審査で落ちてしまって。すると、その会場で違う事務所から声を掛けてもらえたんです。
事務所に入ってからも、あらゆる雑誌のオーディションに応募していました。でも落ちてばかりで本当に仕事がなくて。それは、中学生の時も変わらなかったです。
15歳の時に、これまで書類審査で落ち続けていたセブンティーンのオーディションに、やっと受かったんです。言葉にならないほど嬉しかったです。合格した時のことは今でも覚えていますね。母と姉と「やっとできるね!」ってみんなで泣きましたもん。
最初の撮影はいかがでしたか。
すごく緊張しました。初めての撮影は、中学校卒業間近の高校生になるタイミングぐらい。同時期に入った同い年の子たちと雑誌の企画で中3トリオというのを組んで、高校生デビューに向けたワンランク上のメイク紹介ページを担当させてもらいました。眉毛を整えてもらうとか、何もかもが初めてで。
プロフィールの写真も撮っていただいたのですが、いざ出来上がった紙面を見たら自分が思った以上に笑えていないくて。すごく緊張した顔だったのでショックでした。だから、その後は笑顔とポージングの練習を今まで以上に熱心にした記憶があります。鏡の前でウィンクしたり、笑顔の中でも表情のバリエーションを作ったり。
女優の仕事をするようになったのはその後ですか。
中学2年生の時に事務所のマネージャーさんに、演技レッスンを進めていただいてからですね。興味がなかったわけではないのですが、最初はとにかくモデルをやりたいと思っていたんです。でも、せっかくの機会だしやってみようと。
いざ演技を始められて、難しいと感じたことはありますか。
私、こう見えてすごく人見知りで。中学生までは話下手というか、自分を自分の言葉で表現するのが苦手でした。
だから、初めて演技レッスンを見た時、大声を出して怒る芝居が衝撃的だったんです。人前で大声出すことは、中学生当時の自分にとって恥ずかしいし、本当に苦手なことで。
と言いつつも、いざ始めたら楽しんでいる自分がいて(笑)。そう思い出したら色々と興味が湧いてきて、喜怒哀楽さまざまな感情の表現をできることが嬉しかったです。モデルは洋服をメインで表現しなくちゃいけないですけど、お芝居は違う誰かになってメッセージを伝えるという表現の仕方。改めてそれはとても楽しいことだなと感じられるようになり、お芝居もしていきたいと思うようになりました。
今振り返れば、本当は私が話下手と思い込んでいただけなのかもしれません。モデルもお芝居も。あらゆる表現方法を見つけて、結局「喋るの好きだったんだ」って気付きました。だから今では、昔から表現することが好きだったんだなと思いますね。
今に至るまで、転機と感じられたことはありましたか。
18歳の時です。現事務所での本格デビューだったのですが、ロングからベリーショートに髪型を変えた年でもありました。髪を切ったことは自分にとって大きなことでしたね。それがきっかけで、自分を出せるようになった気がします。
髪を切って変わったということですか。
すごく変わりました。全く何もないのに、首元にあった錘みたいなのが落ちた感じ。
月9ドラマ『大切なことはすべて君が教えてくれた』のオーディションを受けた時だったのですが、審査段階から監督に「もしかしたら切ってもらうかもしれないけどいい?」という話を受けていました。人生で髪を短くしたことがなかったので不安だったのですが、ありがたいことに評判が良くて。
その時は、ちょうど高校卒業のタイミングで、仕事だけでなくプライベートでも転機の年。大学に行こうか、仕事1本に専念しようか悩んでいた時期でもあったんです。
大学でやりたいことがあったのでしょうか。
大学では心理学が学びたくて。演技にも生かせることがあるんじゃないかと考えていました。
でも受験に落ちちゃいました(笑)。そしたら逆にすっきりしたというか。自分の道はこっちなんだって思いましたし、きっと両立しようとしていたら中途半端になっていたんじゃないかな。この仕事って、タイミングやチャンスが本当に大事で、いつどこに転がっているかわからないので、今しかないんだとも考えました。だからこそ、その時いいスタートラインに立てたし、オーディションがなくても仕事をいただけるいい流れができたんだと思います。
現在マルチに活躍されているのは、デビューされた当時から目指されていたことですか。
全く想像していなかったです。ひっそりと地道にやろうと考えていたので、今年25歳を迎えますが、こんなにも色々なジャンルの仕事をさせてもらえるなんて驚いています。
オーディションに受からなかったとき、めげずに挑み続けた原動力は。
最初に担当してくださったマネージャーさんが「オーディション1つでも受けて通ったらすごいことだから、落ちても落ち込む必要はないよ」と言ってくれて。その言葉は、いまだに心に残っています。
あと、“出来ない”と思ったことがないのかもしれないです。オーディションに落ちても「きっと今じゃないんだな、縁があればいつか何年後かでもきっとくるんだ」、「次に似たような仕事が来るかもしれない」という風に考えるようにしています。なんとかなる!と思うことが多いのかな(笑)。
本当にポジティブなんですね。
自分が発する言葉や考え、表情もそうですけど、なるべくプラスのものにしようと心掛けています。マイナスなサイクルって広まりやすいと思うんです。対照的にプラスのものは、広まるのが遅いかもしれないけど、広まればすごく根強いものだし、あんまりブレないのかなって。
私の場合は母の影響も大きいかもしれません。母は超スーパーポジティブなので。ダンスを習っていた時の話ですが、家に帰り「疲れた」って口に出したことがあったんです。そしたら「なんで?楽しいことしてきたのに疲れたってどういうこと?」と言われて。
それからは「疲れた」「忙しい」というようなマイナスなことは、発さないようにしています。たまに言ってしまうことがあったとしてもマイナスにならないよう、テンションを上げて「疲れたー!!」って全部吐き出すみたいにしています。
そんな剛力さんでも、ネガティブになったことはありますか。
昨年の11月、『祇園の姉妹』という舞台を初めてさせていただいた時は、今までにない程ネガティブになったかもしれません。周りはベテランの方ばかりで、舞台にも出られている演者さんに囲まれてのことでした。私はというと、付いていくことすら大変でした。特に、この物語では着物を着なければいけなくて、和装の歩き方から練習するような状態。右も左も分からなくて、初めて無理かもしれないと感じてしまいました。
私、実家暮らしなので、仕事から帰って母にはよく相談するんです。家でも大変だという話しはしていたのですが、あくまでネガティブなのを見せないようにしていたつもりでした。
でも、母には気付かれていて。いつもなら私が家で元気ないとき「なんで元気ないの?」と明るく冗談っぽい感じで声を掛けてくれるんです。その時ばかりは始まって1週間ぐらいたった時、逆になにも言わなくなって、挙句「大丈夫?」と優しく気を遣ってくれました。そんなにひどかったんだなと、母から感じました。
ご自身では大変だなと思われることは、あまりないのでしょうか。
取材でも「大変だったことは?」「辛かったことは?」という質問をしていただくのですが、いざ話すとなると「何かあったんだけど、何だったけ。」みたいになっちゃって(笑)。
基本的に“まあいっか精神”なので、家で家族に話して、笑いに変えて終わっちゃうんですよね。クヨクヨしないで、悩みがあっても寝たら忘れるタイプです。その性格はラッキーだなって、というかそういられるのが一番だと思います。
もっと言うと、全部経験だと思うので、辛くも感じないのかもしれません。壁にぶつかったときこそ、いろんなものが吸収できるし、もちろん失敗もしていいと思っています。だって、失敗の中で経験も成長もできるから。大変だとしても周りの方が本当に優しくして下さりますし。今回の舞台も、時間が経つごとに全部が楽しかったですし、初めての経験ばかりでしたけど、それによってまたひとつ自分の中で成長できたなと実感しました。
たくさんの方と共演されている中で、心に残っていることはありますか。
最近の話ですが、女優の山本陽子さんとご一緒させていただいた時に「どんなにお芝居が上手でも、どんなに美人でも、結局、最後までみんなが見るのは人間性だから。あなたなら大丈夫よ。」と言っていただけたことです。
「私は芝居が下手だったけど、みんなに支えられてここまでやってこれた」という話を24、5の私にして下さることが本当にありがたかったです。だからこそちゃんとしなきゃって心が改まりました。
私自身も、こうして今があるのは人に恵まれているからだとつくづく感じるんです。マネージャーさんも、撮影で出会った方々も、皆さんそうです。周りの方がいらっしゃるからこそ、ここまでさせてもらえているんだなって。仕事は、まずいただかないとできないことですし、表現するものがないとなにもできないですしね。そう思うからこそ、身近な人に恩返しじゃないですけど、演技でもバラエティーでも、舞台でも……何らかの形で感謝の表現をしていきたいですね。