ミリタリーファッションの代表格であるMA-1ジャケットの歴史 - アメリカ軍兵のためにアルファ インダストリーズ(ALPHA INDUSTRIES)がデザインしたジャケットが、なぜ世界中で人気を集めるまで成長したのか。世界初のMA-1ジャケットが生まれてから今日まで時系列で振り返る。
現在「MA-1」の名称で親しまれているMA-1フライトジャケットだが、正式名称は「ジャケット・フライヤーズ・男性用インターメディエートタイプMA-1」。アメリカ空軍パイロットのためのフライトジャケットとして、1940年代後半に世界で初めて開発され、以降ミリタリーフライトジャケットの代表格として存在している。
現在は、様々なデザイン・素材・カラーのMA-1が販売されているが、オリジナルモデルは、軽量なナイロンを使用したセージグリーンカラーが特徴。レングスはウエストラインに合わせた腰丈となっている。
1940年代後半に生まれた初代モデルには「J-8279」という米国政府が授けた規格ナンバーが記されている。ここから1980年代初頭に登場した最新モデルが展開されるまでに、デザインの変更は複数回に渡って行われた。
そのデザイン変更の経緯は、タグに記されたミルスペックナンバーからも読み取ることができる。デザイン変更の際に多くの場合は、初代モデルの規格ナンバー「J-8279」に、アルファベットを一文字追加し、J-8279A、J-8279B、J-8279C…と名付けられていた。最新モデルにはJ-8279Fと記されているため、これまでに6回以上のデザイン変更が行われてきたことが読み取れる。
MA-1フライトジャケットの歴史を学ぶ上で欠かせないのが、アルファ インダストリーズ(ALPHA INDUSTRIES)の存在だ。世界初のMA-1フライトジャケットが生まれて間もない1950年代から一貫してMA-1を作ってきた、いわば“MA-1のパイオニア的存在”。現在は、世界で最もMA-1を流通しているブランドとして知られている。
今回は、1950年代から現在にいたるまでのアルファ インダストリーズの軌跡をたどるとともに、MA-1フライトジャケットの歴史を振り返る。
1940年代当時、空軍パイロットが身についていたのは、フリースで裏打ちされたレザージャケットだった。パイロットの快適さと安全性を保つためのアウターとして登場したピースであったが“ジェット時代の幕開け”とともに改良を余儀なくされた。
これまで主力であったプロペラ機に変わり、ジェット機が空軍のメイン軍機に。パイロットは、これまで以上に高度な飛行、つまり低温の中での飛行が求められた。レザージャケットは耐水性が低いため、雨に打たれて湿気を帯びてしまうと、その水分が低温環境では凍り付いてしまい、使いものにならなくってしまう。
また、ジェット機は従来のプロペラ機よりもスリム化されたことで、かさばるレザージャケットでは快適な運転が難しかった。
そこで着目されたのが、高品質のナイロン素材。すでに第二次世界大戦に先立って発見されていた素材であったが、当時はパラシュートなどに起用されており、飛行用衣料に取り入れられたのは初めての試み。スマートで軽量、かつ優れた保温性を求められた、当時の飛行用衣料界に新たな光を差しこむ存在として注目を集める。
1944年頃、世界初のナイロン製フライトジャケットがデザインされた。「B-15フライトジャケット」と名付けられたそのジャケットは、ほぼ現代のMA-1と近しいフォルムであったとされているが、襟元だけが大きく異なっていた。当時のモデルには、襟元に毛足の長いムートンファーが取り付けられていた。しかし、このファーの襟は、パイロットのパラシュート装備の邪魔になるとされ、MA-1誕生時にはニットの襟に変わっている。
1949年から1950年の間には、米国空軍および海軍のパイロットとフライトクルーに新しいフライトジャケットとしてMA-1が支給された。
1959年、当時の米国防省がアルファ インダストリーズの前身のとなるドブス・インダストリーズに、軍用ジャケットの見直しを依頼。以後、アルファ インダストリーズは米軍用品供給メーカーとして長きに渡ってMA-1のデザインに携わっていくこととなる。1958~1959年に、ドブス・インダストリーズが生産したとされるMA-1には、B-15のファー素材に変わり、ニット素材の襟が起用され、いまの原型となるMA-1のデザインが確立したことが見て取れる。
「B-15フライトジャケット」に代わって、MA-1ジャケットが主流になると、カラー展開に大きな変更が加えられた。先行モデルであるB-15時には、セージグリーンと米軍のオリジナルカラーとしてミッドナイトブルーの2色が用意されていたが、MA-1ではセージグリーン一色に。パイロットが地上で防御のためカモフラージュする際に、周囲に溶け込みやすい色として、セージグリーンが選ばれたとされる。
アルファ インダストリーズは、米国を代表する衣類生産企業へと成長を遂げ、従業員は 100名から500名を超えるまでに増員。その背景には、ベトナム戦争へのアメリカ介入の影響がある。1961年に軍人を南ベトナム兵支援に送り込んだことをきっかけに、数百、数千という単位で米国兵を東南アジアへと送ることとなったアメリカは、より多くの軍事物資が必要になった。
米空軍および海軍の全兵士には、MA-1並びに他のナイロンフライトジャケットを支給。また、海軍兵への支給に伴い、空軍の証としてあしらわれていた、両袖の米国空軍のステッカーは取り外されている。