ヴァレンティノ(VALENTINO)の2024年春夏メンズコレクション「ヴァレンティノ ザ ナラティブ(Valentino The Narratives)」が、2023年6月16日(金)、ミラノ大学にて発表された。
700ページ超の本が、ショーの招待状とともに手元に届いた──アメリカの小説家ハニヤ・ヤナギハラ(Hanya Yanagihara)のA Little Life(『森の人びと』)だ。さすがにショー前に、この大部の書物を読み通すことは叶わなかったものの、書評を手繰り寄せると、この本は疫学者ノートン・ペリーナを主要な登場人物に、科学者としての成功と人生におけるその代償を、自伝形式で綴ったもののようだ。
その話の筋自体は、今は問わない。ただ、この本の叙述の形式に簡単にふれるに留めたい。すなわち、本書には本文中に細やかな註釈が施されている。というのも、ペリーナが自伝を執筆したのは、その共同研究者に促されたためであり、同書はこの共同研究者の編集によるものとされるからだ。1冊の書物のなかに、異なる複数の話者による語りが糾合する──この記事のタイトルに据えた「語りの複数性」とは、ひとまずこの謂いである。
これまで3年にわたって行ってきたウィメンズとメンズ共同のショーから離れ、メンズ単独で発表された今季のヴァレンティノ。では、ここにおける「語りの複数性」とは何か。そもそもまず、単数形の「語り」とは何であるのか──それは「テーラリング」にほかなるまい。均整のとれたフォルム、そしてそれを支えるソリッドなテクスチャー。そうして叶えられるのが、古典主義的な身体のフォルムである。おおよそこれが、テーラリングを定義づける「単数形の語り」だといえよう。そこで衣服はいわば透明化し、身体を理想的な身体のフォルムへと透かして見せる。ここで、あらゆる装飾性、有機性は、厳しく削ぎ落とされる。
今季のヴァレンティノは、このようなテーラリングにおける「単数形の語り」を、「複数性」に開いてゆく。なるほどテーラリングは、端正なセットインショルダーを基調としつつ、シャープなピークドラペルを採用したクラシカルな仕立てながら、ウエストにはシェイプを施さず、ほどよい抜け感がもたらされている。あるいは、ボトムスにはショートパンツを合わせ、素肌を覆い尽くす「べき」スーツの表情は屈折される。
テーラリングのソリッドな表情を叶えるのが、たとえばウールギャバジンであった。一方、今季のヴァレンティノはコットンをさまざまな組織に展開して用いる。チェスターコートにおいてはデニムすら見られる。ウールがしなやかさを、あるいはハリをもたらし「理想的な」フォルムを叶えるならば、コットンはもっと、生の身体に馴染み、溶け込み、有機的な調和を示してゆくことになる。
いま、生の有機性にふれた。生の有機的なダイナミズムを示すものとしてたちどころに想起されるのが、植物、とりわけ花だ。それらは伝統的に、女性服の表層を華やかに飾るものとして用いられてきた。翻って今季のヴァレンティノにおいては、テーラリングのフォルムはそのままに、シャープなラペルは花の形に変化する。花の模様を、素材を重ね、あるいは装飾を施すことで、咲かせてゆく。ここに、ソリッドなテーラリングの無表情さは見られない。このように、あくまで端正な造形性を基調としつつも、素材や装飾を異なる声で語らせることによって、テーラリングの裡に「複数の声」を響かせることが試みられているのではなかろうか。