ドレスドアンドレスド(DRESSEDUNDRESSED)の2025年春夏コレクションが発表された。テーマは「SOME WOMEN」。
あるいは、「記憶」と言ったほうがいいかもしれない。しかし、それは誰の?──今季のドレスドアンドレスドの「ルック」──カラーとモノトーンの2枚1組による12組──には、4人の女性のモデルが登場している。彼女たちは、それぞれに自らの記憶を語る。自分のなかに残ってやまない夢のこと、自らの故郷の風景のこと、あるいは自分で手繰り寄せられる、いちばん古い記憶のこと──4人の記憶はそれぞれに異なるけれども、それらはどこか、ドレスドアンドレスドのデザイナー、北澤武志の記憶に近しいものでもあったという。
一連のルックを構成する、12枚の白黒写真。ひとりひとりが示す記憶の身振りは、だから、不思議とひとつの物語を紬ぎだすように思えてくる。その物語の流れは、デザイナー北澤の記憶かもしれない。逆に、北澤の記憶は、ほかの人の記憶と響きあうものかもしれない。自分を織りなすはずの記憶が他人のものでもありうる、この非人称性──いわば、明確な形を結ばない水のような流動性から、自己を浮かびあがらせてゆくことが、ドレスドアンドレスドの衣服にほかならない。
ドレスドアンドレスドを象徴するテーラリングは、その構築性でもって明晰なフォルムを描きだす点で、自己を析出させる特権的な例である。シングルブレストとダブルブレストのテーラードジャケットは、セットインショルダーによる端正なシルエット。ふと、テーラリングとは装飾をことごとく削ぎ落とし、理想的な身体を造形化するものであることを思い出すのならば、ドレスドアンドレスドにおいては、誰もが夢見るからこそ誰のものでもありうる非人称的なフォルムが具現化されている、とでも言うことができるだろう。
テーラリングの明晰さはしかし、その造形を浮かびあがらせる非人称の曖昧さ、ある種のグラデーションを、奥深くに宿している。ハリのあるウールギャバジン、かすかな起毛を感じるコットンモールスキン、そして細波のような凹凸を持つサテンという、テーラリングに用いた素材の多様さばかりでない。ブラック、ダークグレー、ライトグレーというカラーパレットに、モノトーンの繊細な階調が現れているのだ。あるいはバルカラーコートは、袖先に同色のライニングを覗かせ、外側と内側という境界を、あくまで柔らかく侵してゆく。
つまり、今季のドレスドアンドレスドには、自分というものが立ち現れる手前にある、曖昧な領域を感じとることができる。それを〈水〉の領域と換言してもいいかもしれない。なぜなら水は──先にふれたように──決して明確な形を持たず、ある時は鏡のように留まり、ある時は波打ってはやまない、捉えどころなき流動性に特徴付けられるばかりでなく、此岸と彼岸、生と死を分け隔てる、両義的な存在でもあるからだ。自己と他者、生と死をめぐる水の両義性は、水鏡に映った自分を──しかし自分と認めず──熱愛し、視線を逸らせばその姿が消えることを恐れて飲食をも断ち、果ては死に至ったナルシスを思い起こせば充分だろう。
オーバーサイズの白いシャツの背中には、映画監督アンドレイ・タルコフスキーの父、アルセニー・タルコフスキーによる詩「And this I dreamt, and this I dream」が、黒い刺繍で施されている。その一節もまた、波について語っていなかったか──「Dreams, reality, death - on wave after wave」。波から波へ。波にまた波が重なり、無限に襞を織りなしてゆく。布地という平面が襞を織りなすことで衣服という立体へと造形化されるものならば、水面が静かに細波を立てる、その震えから襞を紡ぎだすところに、ドレスドアンドレスドは自己の形を手繰り寄せているのかもしれない。