アシンメトリーなフォルムのニットトップスは、片身からまず作り始めたという。いくつものラインが立体的に折り重なるようなディテールは、即興で実験的に作られたもの。そこから、次々に異なるパーツをパズルのように当てはめていった結果、左右で丈、脇の位置、胸元の開き方など全てが異なるブラウスが仕上がった。各パーツがバランスを取り、しなやかな造形となった構築的なウェアだ。
ニットのパネルを組み合わせ、まるで折り線を付けているかのようにも見えるセットアップ。独特のハリ感を表現したクールなルックとなっている。スカートはプリーツのようにも見え、途中からラインの向きを逆にすることで、フォルムに動きを持たせている。
自由自在に服を作っているかのようにも思えるデザイナー、ラグネ・キカスのクリエーションは実際どのようにして形作られるのだろうか。彼女にインタビューし、服作りのルーツから、自身の目標に至るまで話を聞いた。
北欧の国、エストニア出身とのことですが、小さい頃はどのような子供でしたか?
4、5歳の時にはもうニットや刺繍、ソーイングなどのハンドクラフトを始めていました。幼い頃からハンドクラフトをするのは、エストニアでは普通のことで、男の子も女の子もみんな必ずやっていたのです。
誰かハンドクラフトを教えてくれる人がいたのでしょうか。
祖母に習いました。母は忙しかったので、祖母に「ニットを教えて!ハンドクラフトを教えて!」とお願いして、教えてもらいました。
4、5歳の子供にとって、特にニットは難しかったのではないですか?
はい、難しかったです。幼かったので、ニットの仕組みを理解できませんでした。私は教えてもらった通りではなく、ただ単に編み進めていたのです。祖母に「間違えているわよ!」と指摘されても、「長くなっているからできているじゃない!」と頑固に主張していました(笑)。
幼い頃のお茶目な経験を経て、ずっとニットやハンドクラフトを続けてきた、というのはすごいことですよね。周りの人もラグネさんのようにずっと継続しているんですか?
いいえ。エストニアでは、中学校を卒業するまで必修科目でハンドクラフトの授業があったのですが、中学校ではみんな退屈していて。友達は課題を家族にやってもらってごまかしていましたが、私は作ることが好きだったので全部自分でやっていました。
ラグネさんの今のクリエーションは、幼少期の環境や、ずっと手を動かして物を作ってきた経験に裏付けられたものなのですね。
はい。今でも全て自分で作るのが好きです。たとえば、サンプルをオーダーして、自分のデザインを工場や機械で形にしてもらうこともできますが、自分で作ること自体が大きな楽しみです。
服作りのプロセスを教えていただけますか?
最初に良い素材を見つけてくることが大事です。素材が私をインスパイアしてくれるから。それで後は手を動かして、実際に作り始めます。
デザイン画を描いたりはしないのですか?
デザインしたりスケッチしたりするよりもまず、実際に作り始めるのです。幼い頃から培ってきた感覚的なもので、ずっと手を動かして物作りをしてきたので、その手順が私にとっては当たり前のものとして身に付いています。
実際に作っているとデザインのアイディアが湧いてくるということですか?
はい。ボディに合わせて、まずドレープやフォルムなどディテールを編み始めます。そして、これはドレスにしよう、とか衿や袖をこうつけていこう、という風に全体を仕上げていく流れですね。
即興のような作り方なんですね。
即興!まさにその通りです。編み物自体が自分の一部のようなものだから、自分から切り離してデザインから考えることはしないのです。山本耀司さんからテーマを与えられたときも、同じプロセスで作っていきます。
自分の一部としてずっと物作りを続けてきたということは、ファッションデザインの道に進むことも自然な流れだったのですか?
いいえ。もちろん、ファッションデザイナーになりたいという気持ちはずっと持っていましたが、ナンセンスだと考えていました。だってロックスターになりたいって言うようなものじゃないですか。才能のある一握りの人しかなれないと思っていたのです。だから、高校を卒業した後には、エストニアを出てドイツの大学に行き、生物化学を専攻しました。
物作りとは全く違う進路に進まれたのですね!
クレバーな方を選ぼうとしてしまったんですよね。本当に生物化学は嫌いでしたけど(笑)。その間に趣味として服を作り始めたのですが、自分が好きなことをやり始めると、「やっぱりファッションデザインの道に進もう」という考えに至るまでにはそう時間はかからなかった。大学を辞めて、ファッションスクールに行く準備を始めました。でも、一度嫌いなことを経験したからこそ今の私があると思っています。