レイバン(Ray-Ban)のサングラスは、80年以上にわたる歴史を持ち、世界中から支持を集めてきたファッションの定番アイテム。最初は空軍パイロットが使用するミリタリーアイテムとして登場し、ハリウッド映画や音楽界など、ポップカルチャーとともにファッションアイテムとして広く親しまれてきた。
レイバンのサングラスが辿ってきた歴史や、レイバンのシンボルともいえるサングラス「アビエーター」「ウェイファーラー」をはじめ、おすすめのモデルを紹介する。
はじめに、レイバンの歴史を紹介。各年代ごとに登場した主なサングラスを軸に、軌跡を辿る。
レイバンが開発した初のサングラスが「アビエーター」。元々は米空軍パイロットが視界を妨げることなく太陽の強い光を遮断できるよう開発された「レイバン・グリーン」「ティアドロップ・シェイプ」のサングラスが、1930年にアメリカ軍に制式採用された。開発後7年を経て1937年に一般発売。同じく1937年に、“光(Ray)を遮る(Ban)”と言う意味の「レイバン」がブランド名として採用された。
「アビエーター」開発の発端となったのは、1923年にアメリカ合衆国陸軍航空隊が、レイバンの母体であったアメリカの光学メーカー・ボシュロム社にパイロット用アイウェアの開発を依頼したこと。ボシュロム社は当時、顕微鏡、写真用レンズなどを手掛ける光学メーカーだった。それまでの米軍パイロットは風除けや単なる色付き眼鏡を使用しており、太陽光線に起因する眼精疲労や視力低下、体調不良に悩まされていた。
「アビエーター」の特徴的なティアドロップ型レンズは、人間の目の動きと同じ範囲をカバーし、最大の視野を確保できるデザイン。パイロット用に6年間研究開発を積み重ねて生み出された。また、フレームは力学的にデザインされており、ある程度弾力性を持っているため、外部から衝撃を受けても変形しにくく、顔面へのダメージも抑える。
レイバンのサングラスは1940年代、第二次世界大戦下でもパイロットから重宝された。コックピットに焦点を合わせ、「グラデーションミラーレンズ」を開発。太陽からの保護力を高めるためにレンズ上部には特殊なコーティングを施す一方、レンズ下部はコーティングせず、飛行機の計器盤がはっきりと見えるようにデザインされた。これらの新しいアイデアは、プロが使用するのと同じ高機能を楽しみたいという一般の人々の共感を呼んだ。
また、陸軍・海軍の制服だったTシャツがファッションアイテムとして普及したのと同様に、パイロットのサングラスもミリタリーから派生したファッションアイテムとして一般に浸透していくようになる。
レイバンのサングラスで最もメジャーな定番モデル「ウェイファーラー」は、1952年に誕生。セレブリティやミュージシャン、アーティスト、ファッショニスタから愛されてきたタイムレスなアイコンだ。レイバンが初めて開発したプラスティックフレームのモデルであり、ウェリントンシェイプで様々な顔の形に似合うため幅広く支持を集めている。
染色しやすいプラスティック素材の特性を生かし、カラフルなフレームを展開。ロックミュージシャンが反体制のスピリットの象徴として着用するなど、多くのアーティストが使用することで人気を獲得していった。
また、1953年には、「G-15グレーレンズ」も登場。眩しい光の中にいても、実際の色と同じ視界と快適な保護を提供してくれるニュートラルグレーのレンズを発表した。
ハリウッド映画や音楽界など、ポップカルチャーの文脈でも大いにフィーチャーされた「ウェイファーラー」。1955年に映画『理由なき反抗』でジェームス・ディーンが、1961年に『ティファニーで朝食を』でオードリー・ヘプバーンが着用するなど、ハリウッドの銀幕スターが「ウェイファーラー」を着用したことで、アイコニックなファッションアクセサリーとして人々に広く認知されるようになった。また、ミュージシャンのボブ・ディランも「ウェイファーラー」愛用者だ。
1980年の『ブルース・ブラザーズ』、1983年の『卒業白書』といった映画においても「ウェイファーラー」が使用されている。
マイケル・ジャクソンは、史上最大動員数を記録した1987~1989年の「バッドツアー」において「ウェイファーラー」を着用。なお、マイケル・ジャクソンは1984年のグラミー賞には「アビエーター」をかけて出席していた。