2004年にフィレンツェのピッティ・ウォモ(世界最大級のメンズファッションの見本市・展示会)とニューヨーク・コレクションの展示会に出展したことでしょうか。僕らはいつもパイオニアでいるのが好きなんです。僕らには規制がない。大きな会社ができないことを、すぐに行動に移せる。だから、アメリカに拠点を置くことも、お店を開くことも、他の大きな会社がやる前にやってこれたんだと思います。
出展すること自体も、日本での展示会中に清水との立ち話で決まりました。アメリカからインポートして販売してきた日本の会社が、アメリカで洋服を作ってアメリカで販売できるか試してみようと。そういうことをしている人がいなかったからやってみようと思ったんです。
ヨーロッパのショーを回って、一番印象に残ったのがフィレンツェのピッティだったからです。それに、シーズンで一番早い展示会がピッティなので、マーケットに対して自分たちのオリジナリティを真っ先に見せることができる、というのも大きな理由の一つです。
その当時のピッティはスーツを中心としたクラシコの展示会でした。僕らの洋服が入る隙間もないのが逆に良いと考えていました。出展にも審査があるのですが、なるべくクラシコに近いものを審査に出しました。
でも、展示会当日は一番アメリカっぽいのを持っていって、目立った。初日は手応えをあまり感じられなかったけれど、2日目から興味を持った人を介してたくさんの人が見に来てくれました。ある程度のオーダーも貰う事ができ、まずまずのスタートでした。その後は、出展するたびに自信がつきました。面白いことに、10年の間に僕らのようなブランドが増えて、クラシコのスペースがどんどん小さくなっていったのです。
当時のピッティの様子 - エンジニアド ガーメンツのブース
今、振り返ると、”時代にのっていた”のかもしれません。これ以上ない、良いタイミング。でも、自分たちがそれを見計らっていた訳ではありません。自然にやったら運がよかったというか、もしかしたら世の中の流れを肌で感じて、なんとなく自分たちの決断に至ったのかもしれませんね。
実は、同じように自分たちにとっては自然な流れで、ピッティへの出展を今回で最後にすることにしました。2014年春夏のシーズンからは、新しい場所と方法で見せて行きたいと考えています。
インタビューの後、NYにてランウェイ形式で発表された
ENGINEERED GARMENTS 2014年春夏コレクション
全然変わっていません。同じようなディレクションのブランドが増えて、何もしないと埋もれてしまいそうな危機感はあります。自分たちらしいオリジナリティを追求しなければ。変えることはできるけど、変えすぎると、違う人になるし、変えなさすぎると、埋れてしまう。これまでより、もう一歩ふみこまなくてはならなくなり、前より楽はできないですね。
ないですね。当初から、アメリカ向けのサイズ感でやっています。そもそもアメリカにいて日本の規格で作ること程、大変なことはありません。こっちにいて全てがインチで動いている。そういう風に作りたかった。日本の企画で作るのは気持ちの部分でも嫌でした。アメリカと同じ企画でやっているアメリカの製品として売りたかったんです。
日本のマーケットは特別に意識したこともあまりありません。マーケットがなかったから作ったといってもいいくらいです。今から考えれば、99年当時は細いラペルのジャケットに尖った靴が主流だった頃です。そんな時に、トレンドとはかけ離れていた太いパンツを作っていました。40年近く洋服を見てきて、何が盛り上がって、何のが消えていったかを見てきています。トレンドでないだけで、ベーシック。経験値として、ベーシックなものに対する価値観を高く持っています。