1927年、サルヴァトーレ・フェラガモが自身の名を冠したブランドを設立。2022年9月、ブランド名を「フェラガモ(Ferragamo)」に変更。
フェラガモ(Ferragamo)はイタリアのラグジュアリーブランド。
シューズを中心にアパレル、バッグ、アクセサリーと幅広く展開。イタリアの職人技をベースに、ディテールまで拘った品質、高い耐久性、機能性を追求している。デザインは、クラシックかつエレガントで、モダンなエッセンスを加えている。創業者のサルヴァトーレ・フェラガモが、解剖学を修び、足を痛めない靴作りを志していたことから快適な履き心地にも定評がある。
フェラガモの代表的なモチーフは「ヴァラ(Vara)」と「ガンチーニ(Gancini)」。「ヴァラ」はリボンモチーフのアイコンで、これをデコレートしたパンプスが代表的なアイテム。「ガンチーニ」はホースシュー型の留め具をイメージしたロゴでバッグや革小物などにあしらわれている。
サルヴァトーレ フェラガモ(Salvatore Ferragamo)はタリアカンパニア州アヴェッリーノ県ボニート生まれ。11歳で、靴屋を開業、15歳でアメリカに渡る。
南カリフォルニア大学で解剖学を修び、足を痛めない靴を製作するための手法を身に着けた。靴の製作手法に関する数々の特許も取得している。靴職人としてのこだわりを強く持ち、履き心地のよい靴を信条とし、足に触るだけで、その人の体調が分かったと言われている。
アメリカではハリウッドスターを顧客にし「スターの靴職人」と名声を得る。顧客には、イングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、マレーネ・ディートリッヒ、ジュディ・ガーランド、キャサリン・ヘプバーンなどハリウッド大女優ばかりが名を連ねた。
1927年、イタリアに帰国、フィレンツェでサルヴァトーレ フェラガモを開業。大恐慌の余波を受け33年一度倒産するが、王侯、貴族や有名人の顧客を獲得して復興を果たす。その後、甲部を透明なナイロン糸で作り、革命的と言われた「見えない靴」や、ウェッジ・ヒール、フラットフォーム・ソールの靴など次々と発表した。60年、サルヴァトーレ フェラガモが死去。
※ウエッジヒール…つま先が低く、かかと部分が高い、くさび型のかかとの靴。
彼の死後もブランド、フェラガモは、妻ワンダや子供たちに受け継がれ、67年には、次女のジョバンナ中心となり、レディス、メンズのプレタポルテをスタート。現在では、バッグ、財布、香水なども含めた、トータルファッションブランドとなっている。
2000年秋冬シーズンより、セルッティ、エルメス、トラサルディなどで活躍したマーク・オディベがレディスのデザインを担当。その後、2003年春夏シーズンからは、アルマーニで経験を積んだグレエム ブラックがデザイナーに就任した。
2007年、グレエム ブラックが自身のブランドに専念するためうデザイナーを辞任。後任として、クリスティーナ オルティスがチーフ・デザイナーに就任した。メンズラインはマッシミリアーノ・ジョルネッティが手がけている。2010年秋冬シーズンよりマッシミリアーノ・ジョルネッティがレディース部門のデザインも担当することが決定。
2009年、ヨウジヤマモトとコラボレーションでシューズを発売。
2016年、ウィメンズシューズのデザイン・ディレクターとして、ポール アンドリューが就任。 同年11月17日、ギョーム・メイアン(Guillaume Meilland)がメンズウェアのデザイン・ディレクターに就任。2017年春夏ウィメンズコレクションでデビューを飾ったウィメンズ、レディ・トゥ・ウェアのデザイン・ディレクターであるフルヴィオ・リゴーニ(Fulvio Rigoni)とともに、3人のデザイナーによるクリエイティブ部門が完成した。
2017年、ポール・アンドリューがウィメンズコレクションのクリエイティブ・ ディレクターに就任。彼は、2019年に「サルヴァトーレ フェラガモ」全体のクリエイティブ ディレクターに就任。2021年、ポール・アンドリューが退任。
2022年3月、マクシミリアン・デイヴィス(Maximilian Davis)がクリエイティブ・ ディレクターに就任。
2022年9月、ブランド名を「フェラガモ(Ferragamo)」に変更。
マクシミリアン・デイヴィス(Maximilian Davis)はロンドン生まれのデザイナー。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを卒業し、2020年に自身のブランド「マクシミリアン(Maximilian)」を設立。デビューするや否や国際的に高い評価を得て、デザイナーとしての認知を広めた。