1925年、アドーレ・フェンディとエドアルド・フェンディがローマに革製品店を設立。
フェンディはイタリアのラグジュアリーブランド。
毛皮の常識を覆す冒険心をみせながらも、品位や優美を保つコンサバティブさも兼ね備えた、ファッション性の高い新しい毛皮を世に出し続けている。
フェンディのアイコンバッグとして、台形フォルムの「ピーカブー」バッグや、1997年にシルヴィア・フェンディがデザインし、2019年春夏コレクションで復活を遂げた「バゲット」が挙げられる、「バゲット」にはフロントに「FF」ロゴモチーフのバックルが配されているのが特徴だ。
レザーグッズにおいて象徴的な「セレリア」はフェンディのクラフトマンシップを表すステッチ。「セレリア」とはイタリア語で「乗馬の鞍」を意味しており、「セレリア」ステッチには、ローマの馬具職人からアデーレ・カサグランデと夫のエドアルド・フェンディが受け継いだ馬具の製法が反映されている。
また、フェンディのレザーグッズに継続的に用いられている「クオイオ ローマ」とは、シグネチャーである最高級カーフレザーのことを指す。
フェンディは1925年、アドーレ・フェンディとエドアルド・フェンディがローマに革製品店を設立したことがブランドの始まり。
創業当時、ハリウッドで流行していた毛皮の襟巻きに注目して、毛皮のコートを売り出したことで成功。以来、イタリア人女性のステータス・シンボルになる。
46年、フェンディの5人の娘の長女、パオラが15歳で仕事を始め、アンナ、フランカ、カルラ、アルダの4人の妹もそれに続き、「偉大なる母」と呼ばれるアドーレの後を受け継ぐ。
65年には弱冠27歳の新進デザイナー、カール ラガーフェルドを主任デザイナーに迎え入れる。(当時は新進だった。)エナメル加工、ステッチ使いなど、さまざまな技法を取り入れる。これによりクラシックな毛皮のイメージを一新し、クリエイティブで機能的なものに変えた革新的なデザインが話題を呼ぶ。
69年には毛皮コートのプレタポルテを発表。ラガーフェルドはこのときに、40年代からコートやバッグの裏地として使われていた「ダブルF」の柄を表側に使うことを提案。ここから有名な「ズッカ柄」が誕生した。
70年代には毛皮や革製品に、コート、ジャケットなど幅広いアイテムが加わる。ここでフルラインの本格的なプレタポルテがスタート。80年に初の香水を発表。
97年にバッグ「バゲット」を発表。これはスタイルオフィス・ディレクター、シルヴィア・べントゥリーニ・フェンディによるもので、バゲットパンに形が似ていることから名付けられたこのバッグは、現在では350種以上のバリエーションがある大人気商品となっている。99年、新作バッグ「ロールバッグ」を発表。
99年、LVMHグループとプラダが合弁会社を設立し、フェンディに資本参加。これにより、流通ネットワークを強化、全世界で4店舗から83店舗まで拡大。2001年、プラダが保有する合弁会社の株のすべてをLVMHグループが買収し、フェンディ株式の51%を所有。(完全子会社化する。)
2006年、新作のバッグ「ビーミックス(B.MIX)」のプロモーションでイベントを国立霞ヶ丘競技場にて開催。このイベントはア ベイシング エイプのNIGOがプロデュースした。
2019年、ウィメンズのクリエイティブ・ディレクターを50年以上にわたって務めたカール・ラガーフェルドが逝去。2月にミラノで発表された2019-20年秋冬ウィメンズコレクションが、彼が手掛ける最後のコレクションとなった。
2020年、キム・ジョーンズがウィメンズのオートクチュール、 レディ・トゥ・ウェア、 およびファーのアーティスティックディレクターに就任。フェンディ創業家の3代目にあたるシルヴィア・べントゥリーニ・フェンディは継続してウィメンズのアクセサリーおよびメンズコレクションのアーティスティックディレクターを務め、 キム・ジョーンズと協力体制を取る。
2021年秋冬ウィメンズコレクションにて、キム ジョーンズが手がけるファーストコレクションを発表。キム ジョーンズは、ディオール(DIOR)のメンズアーティスティックディレクターと兼任となる。同コレクションより、新ジュエリーライン「フェンディ オーロック」をスタート。
2024年、キム・ジョーンズがフェンディのアーティスティック・ディレクターを退任。