父が伝統を守り、私が革新を追求しています。ただし、革新をもたらす際に重要なのは「伝統を守りながら」でなければならないということです。私が思うイノベーションとは、唯一無二の製品を、他にはないディテールで作ること。そして高品質の商品を、伝統を守りつつも、デザイン的・技術的革新を加えながら作ることです。
そしてそのために重要なのは、インスピレーション源を、靴とはかけ離れた世界から得ること。サントーニのデザイナーは、靴作りのための着想を靴から得ることは決してありません。車、時計、アート作品や宝石、建築や家具からインスピレーションを得るのです。そうして得たものを、私達の会社のノウハウを駆使して、形に落とし込んでいきます。
もちろん、会社をもっと大きくしたいというヴィジョンはもっていました。前に述べたとおり、ブランドのカルチャーを守りながら、もっとブランドを発展させていきたいというのが、当時の私の考えでした。
ただ、実現できたのは父のおかげだと思います。まずなにより、こんなに若かった私を信じて、会社を任せてくれたということが自分にとっては自信になりましたし。そして、技術面・品質管理の面でも多大なサポートをしてくれましたから。
一番大きいのは、私自身が目利きであったということでしょうか。小さいころから、良い靴を見分ける能力だけはあったと自負しています。幼少期のほとんどを父の工房で過ごし、靴作りというものを身近に見て育ちましたし、早くから父の工房で働き、靴作りをよく知っていましたからね。実際、21歳でCEOとなったときには、すでに十分な経験を積んでいました。ああ、それから、実は日本に初めて来たのも、21歳の時だったんですよ。
*ジュゼッペは1990年、21歳という若さでCEOに就任している。
ええ、そうですね。それでも来た時には、非常に興味深い市場であると感じました。その当時、日本市場では高級ブランドが非常に注目されていましたからね。
ええ。ただ、最初の数年は非常に難しい時期でした。私が初めて来日した時、日本にサントーニを知っている人はいません。文字通りゼロからのスタート。さらに日本のお客様は一筋縄ではいかない。十分な理解と、マーケティングをする必要がありました。
日本人は、そのブランドに対する信頼がなければ買いませんから、とても時間がかかりました。それでも、その後、だんだんと私たちの製品の高い品質に関心を持ってくれるようになり、少しづつですが認知度が上がっていきました。
はい。私達のフィロソフィーを日本のお客様に伝えていくように心がけました。そうすることで、私たちのブランドが持つオリジナリティー、際立った品質やデザイン、そういったものにだんだんと価値を見出してくれるようになったんです。それからもう一つ重要なことは、私たちが長期に渡って品質を保証しているという点。物を大切にする、長く使うというのは、特に日本人の文化には非常に適している部分でもあると思います。そのような点もマッチしていたのかもしれません。
日本進出の過程でいえば、ほとんどの人が英語を喋れなかったことですね。
私は日本語が話せませんから、言葉は一つの大きな壁でした。
それでも日本市場に可能性を感じた私達は、すぐに”日本人の足に合わせた靴”を作ったんです。日本人の足の形は、ヨーロッパ人とはずいぶん異なりますから。そこに高品質・デザイン性の高さをプラスしていった。そうした日本の消費者に寄り添った考え方が認められ、言葉の壁も乗り越えることができました。