1975年創業のイタリアシューズのブランド、サントーニ(Santoni)。わずか40年あまりという短期間でその名を世界にとどろかせ、倍以上の歴史をもつブランドにも引けを取らない高いクオリティを誇る。そんなサントーニのトップとして、現在も成長を続けるブランドを率いるのは、創業者アンドレア・サントーニの息子、ジュゼッペ・サントーニ。今回は、レディースラインの日本本格上陸を受けて来日していた彼にインタビュー。21歳という若さでCEOとなった彼が描いていたビジョン、そしてブランドの成功の秘訣に迫った。
サントーニは、職人の手によって作られるシューズを扱うブランドです。1975年に私の父が始めました。初めは小さな工房で、1つ1つ靴を手作りするところからのスタート。そこからだんだんと会社は大きくなっていき、イタリア国内の市場も拡大。扱う靴の種類も増えていったんです。また父は国内だけではなく、国外のある市場にも目を付けていました。アメリカ市場です。70年代のアメリカ市場は、サントーニの製品に高い関心を示してくれていたんです。ですから立ち上げてすぐに輸出ビジネスも始めました。
条件的というよりは、伝統という部分の方が大きいですね。手工業、職人の文化がある地域なんです。マルケには、大なり小なり様々な種類の、手工業を営む企業があります。それぞれが靴の材料となる、例えば皮や、靴底を作っているんです。そして互いに自分の作った製品を提供しあい、最終製品ができていく。
もう一つ言うならば、社会的な動きというのもあります。第二次世界大戦後、ちょうど1950年初頭頃ですね、農業従事者から、企業労働者への転身は、社会的に大変大きなステップアップでした。
マルケ州は、歴史をさかのぼれば、戦争以前は農村地帯だったんです。ところが1950年代初頭、戦争で疲弊した国を建てなおそうという社会的な風潮が起きてきて、マルケ州にもたくさんの企業が出来ました。手工業を中心とした企業です。
ですから、そうした企業で働くことは、社会的にも一種のステータスだった訳です。私の父もその一人でした。元々は普通の農家に生まれた父でしたが、偶然にも靴の工房で働く機会を得て、そこで靴の作り方を習ったのです。
そうですね、実際、ある種の「特権」といってもよいくらいのものでした。そして父はそんな機会に恵まれた。父が工房に通い始めたのは彼が13歳の時です。そして靴作りを学び、30代前半で自分の会社を始めたのです。始めた時にはもうすでに、靴職人としての20年弱の経験がありましたからね、ですからもう責任者になるには十分な知識があった訳です。
まあ話はそれましたが、マルケ州には、そうした様々な手工業を営む会社が密集していて、そうした伝統が、サントーニの靴作りには最適であったということです。
サントーニ社は、マルケ州に2010年春に新しいオフィスを完成させた。建物には、再生可能なスチールやガラス、アルミニウムが使用され、エコフレンドリー。また、太陽光発電システムの自家発電による生産体制を整えたり、緑化活動を通じて、地球環境に配慮した取り組みも行っている。
そこからサントーニが非常に革新的な道をたどったからだと思います。当時父が、他どの企業よりも先に成し遂げたこと、それはサントー二をクオリティー重視のブランドにしたことです。
当時多くの靴のメーカーが、アメリカやドイツ市場に参入していました。そうした国々では、もちろんクオリティーも重要でしたが、それにも増して大きな需要がありました。ですから当然、イタリアの企業間には、より多く生産し、より儲けを出そうとする傾向がありました。そうして量を重視した結果、クオリティーにはこだわりきれなくなっていったんです。そこで父は逆に、クオリティーを重視するブランドを作ることを決めました。
当時、父は、いわば量重視の大企業で働いていました。チーフプロダクションマネージャーとして。しかしすでに靴職人として高い技能をもっていた父は、もっと質を重視した製品を作りたいと思ったんです。何年にもわたって品質が保証できるようなね。そういう意味では、彼はパイオニア的な考え方を持っていたのかもしれません。