随心院は、京都・山科にある真言宗善通寺派の大本山。弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正が開山した。また、古くは牛皮山曼荼羅寺と称されたが、この名は、仁海僧正一夜の夢に、亡き母が牛に生まれ変わっていることを見て、その牛を鳥羽のあたりに尋ね求めて飼養するも日なくして死に、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を画き本尊にしたことに因んでいる。
随心院の位置する山科区小野は、小野家が栄えた地として有名。随心院は、絶世の美女として知られる小野小町が余生を過ごしたとも伝わる場所であり、境内には小野小町にまつわる史跡が残されている。
なお、小野小町については、平安時代の女性のご多分に漏れず、生没年をはじめその素性はほとんど明らかにされていない。しかしエピソードとして特に知られているのが深草少将の百夜通い。小町に求愛した少将は、小町から百日間毎日通い続けたら受け入れると言われ、毎日欠かさず小町の元へ足を運び続けたが、九十九日目の夜に大雪のため願い叶わず凍死してしまったという伝説がある。この話はフィクションだが、少将のモデルとなった人物は存在したと言われており、同じく六歌仙にして交流のあった遍昭がその候補者に挙げられている。