ジョン ローレンス サリバン(JOHN LAWRENCE SULLIVAN)の2025年春夏コレクションが発表された。
ジョン ローレンス サリバンが今季の着想源としたのが、通常の社会が忌み嫌い、その存在をも隠蔽してしまう生物。デザインにおいては、複数のアイテムを重ねるドッキングの手法を多用し、テーラリングの厳格さとフェティシズムの艶やかさが交錯する雰囲気を繰り広げている。
「ドッキング」と聞いてたちどころに彷彿とさせられるのが、想像上の生物たるキマイラだ。獅子の頭に山羊の胴体、蛇の尾を持ち、口から炎を吐くこの怪物は、それぞれの要素は確かに現実に存在するものの、それらが一体となった姿は架空の存在でしかありえない。いやむしろ、イマジネールな領域でこそ、相異なる要素は混然一体となり、ひとつの像を結ぶ。
衣服がある種、イマジネールな身体を具現化するもの──純然たるもの、確かな手触りを持って皮膚を刺激するもの──であるのならば、キマイラのごとく、相異なる衣服がひとつに結ばれることを飲み込めるだろう。その例は、二重のテーラードジャケットばかりでなく、ステンカラーコートにトレンチコートを重ねたコート、シャツ、ニットなどに見てとることができる。
キマイラとは、いわばひとつの固化されたイメージでは捉えきれないからこそ、複数の要素の錯綜体として想像される。そうした両義性は、しばしば個々のアイテムに顔を出している。フロントファスナーを2つあしらったレザーパンツやデニムパンツは、そのささやかな反復により、フロントファスナーの機能を打球している。あるいは、テーラードジャケットやボンバージャケットは、ヘムラインをV字にカットすることで、あたかもボディスーツのような趣をあらわす。
さて、先に衣服とはイメージを、確かな手触りを持つものとして具現化するものであることにふれた。その特権的な対象が、あるものに異なるもののイメージを重ねてそれを偏愛するフェティッシュでなくて何であろう。ジョン ローレンス サリバンにおいても、ドレスやシャツに用いたベルベット、艶めかしく光沢を帯びたレザー、あるいはウエストを極端に絞るコルセットのディテールなどに、イマジネールとリアルをあやうくも取り結ぶフェティシズムが息づいている。