石野:裏切るのが決してメインではありません。でも裏切った方が面白い時ってあるじゃないですか。期待を裏切ろうとしているわけじゃないけども、より面白くしようとする。すると、やっぱり期待を裏切る方向になっていく。受け手側の想像の範疇の面白さを追求しても、それはあまりスリルがないというか。でも、たまに期待を裏切りすぎちゃって元の目的を見失うこともあります。
客観的に見つめている自分はいますね。それがないとやっぱりできない。ただ、その客観的にどの位置から見ているのか、部屋の天井のあたりの高さなのか、それとも人工衛星ほどの高さなのか。それによっても違いますね。
石野:数年先を見越して曲を作るようなことはしません。過去の作品に「だっちゅーの、ゲッツ!」のネタを使った歌詞が入った「Cafe de 鬼(顔と科学)」という曲がありますが…。もうそのネタは当時でも古かったですね。
瀧:未来はこうなるだろう…と思って音楽作るようなタイプでもありません。後先見越して作るのって保険っぽいところあるじゃないですか、保険のためになんか作るのって健全じゃない気がして。
石野:昔はカセットテープ使っていたんですよ!(笑)
当時は(楽音を合成する楽器)シンセサイザーとか和音が出るものがなくて…。1ヶ月半ぐらいバイトをしてやっと買えたのがモノフォニックという単音しかでないシンセサイザーだったのですけど、それをカセット2台使って、1本はカセットに録音して、それを流しながらもう一つのパートを弾いて…それを繰り返して曲を作っていたかな。それが80年代前半ぐらいで、かなり原始的ですね。
その頃からなので、機材の進歩はずっと経験しています。でも、高校生のとき作った曲を、今聞き返してみると実は基本的なところって変わってない。例えば、その当時の自分に今のコンピューターを説明してポンと渡したとしても、面白いものができたとは思えません。
石野:もともと僕らは王道的なところを目指して音楽を始めたタイプではないので、その時代の制限された中でどう工夫し、どう個性を出していくか。そんな部分で他のミュージシャン達からいかに抜きん出るか?ということに一番重きを置いていました。
機材が発達してなかった分、筋力は鍛えられた。昔はよかったとは言うわけではないですが、その時を経験できたっていうのは今となっては財産かなと思いますけどね。
現代だと、制限されない、不自由がない中で音楽作るのが簡単になって、それなりに形になってしまいますよね。着地点にたどり着くのは早くて、それは良いことだと思います。僕ら49歳で、今の高校生がたどり着くとこにやっと足並みがそろったって感じですよね…。(笑)
石野:目標がないのが一番だと思います。
というのは、こういうものを作る!とかはあってもいいかもしれないけど、“こう作って、こうなっていこう”とか、その先を考えているのは意味がないというか。
瀧:武道館でやりたい、とかね。
石野:やりたい人は勝手にやると思います。彼らは別に、僕らの言うことなんて関係ない。やりたきゃやるし。クラブで「踊らないの?」って聞かれて「踊りたくなったら踊る」まさにそんな感じ。「では、今からダンスフロアで踊ろうとしている若者たちに向けてひと言!」って変な話でしょう。