2021年8月6日(金)に全国公開される『映画 太陽の子』で主演を務める柳楽優弥にインタビュー。戦時中の若き研究者を演じるうえでの役作りや、本作の魅力について話を伺った。
──『映画 太陽の子』で柳楽さんは、戦時下で原子核爆弾の開発に携わる若き科学者の役を演じました。この役を演じることが決まったときに、何を考えましたか。
まず、第一印象として台本が素晴らしかったので、絶対参加したいと思いました。僕はこの脚本を読むまで、日本で原子の力を利用した新型爆弾を研究していた事実を知らなかったので、歴史や科学者がどういう存在であったのかを勉強することから始めました。また、日米合作ということで、それぞれの国の方がどう感じるのだろうという不安もありました。そういったことを覚悟したうえで、お受けしようと考えました。
──科学者を演じるうえで何を意識しましたか。
僕も含め出演者は、研究者とは普段まったく関わりがなく、彼らが何をしているのかを知りませんでした。そのため、撮影に入る前に勉強会があったのですが、そのような場でディスカッションをしつつ、修がやっていることをだんだんと理解していく。そうした俳優としての作業が、研究者の姿と徐々に重なっていくような感覚がありました。
これは狙った役作りではありませんが、撮影をするなかで、研究室の空気感がムードとして自然に出てきました。これは、みんなが必死だったからこそできた空気感ではないかと思います。
──修は一見一途に研究に打ち込んでいますが、そこには常に気持ちの揺らぎがあります。それでも、どうしてあそこまで研究に打ち込んだのでしょうか。
僕もわからないです、京都帝国大学の科学者とは次元が違いすぎちゃって(笑)。映画の中で「これができれば戦争が終わる」と修は話します。あくまで日本のためにという時世だったり、国のために自分が絶対に尽くしたいというのもあったのかな。それでも、やっぱり研究が好きだったからではないですかね。
──修という人物は、柳楽さんにとって分からなことばかりだったのですね。
修に共感できるところってそんなになく、むしろ、ひたすら役柄を追いかけていく作業でした。先ほどお話しした、役柄に理解を深める勉強会などに参加していくなかで、俳優として向き合う姿がリンクしてくることはありましたが、どこかに共感してという感じではありません。
比叡山に登っておにぎりを食べる場面も癒されるようなシーンではなく、むしろ狂っていて、理解ができませんでした。役柄だからといって共感はまったくできない。前半は、家族の話や青春を描いている純粋な面があるのですが、後半になるにつれて、役柄を通して戦争の恐ろしさを感じていくことになりました。
実際、誰にとっても親しみやすい主人公ではないとは、監督から言われていました。逆に、この主人公を通して疑うということは、すごく清純なリアクションだと思います。僕としては、むしろ「分からなさ」にひたすら向き合って、役柄を追いかけていくという感じでした。
──『映画 太陽の子』の舞台設定は戦時中ではありましたが、修がお風呂に入っているときに幼馴染の世津と窓越しに話す場面や、弟の裕之とちらし寿司を食べる場面など、ほのぼのとしたシーンもありましたね。
この映画の魅力は、戦時下であっても若者たちの日常があって、それをちゃんと描いているところです。研究者である修にしても、日常においては、今みんなが友達と会話するのと変わらないと思うんです。懸命に生きていく姿勢に心を打たれました。
──修と世津、裕之の3人の中で、世津だけが未来のことを考えていて、修と裕之は現在を考えていました。柳楽さんだったら、どちらの立場だったでしょうか。
やっぱり、僕は修や裕之のタイプです。
──世津や裕之の存在は、修にとってどういったものでしょうか。
3人の関係性って、今でも共感できる気がします。お互いを特別な存在として捉えつつ日常を過ごしていますが、修も裕之も、やっぱり女性の強さに支えられているなーって思います。こういう関係性って憧れますよね。
──研究所の中と日常生活には大きなギャップがあります。
はい。難しいのは、研究室で原子核爆弾の開発をしているけど、それは大学のメンバーしか知らないし、もちろん家族に相談もできない。修にはそんなジレンマがあり、相当難しい状況です。そうした難しい状況を演じる際も、あくまで自然に、変にメリハリを見せるわけでもないことは意識しました。
ただ、修はとんでもないことを家族にまだ打ち明けていないわけです。だから、戦争が進むにつれてだんだんコントロールが効かなくなって、修も狂っていく。純粋な科学への興味が狂気に変わっていくというのが、戦争の怖いところだと感じました。
──観た人には、どんなことを感じてほしいでしょうか。
戦争に対する意識は人それぞれに異なるので、僕から特別、こう考えてほしいというものはないです。けれども、この作品は戦時中を懸命に生きた人たちの物語であって、彼らから今の時代を生き抜くヒントを得ていただけたらとは思います。
戦争を主題とした作品と関わるうえで、僕も知らないことが多分まだたくさんあります。それでも僕自身、この作品の役柄を演じるなかで、自分の中に「これは怖い」という基準ができました。戦争を体験している人が少なくなりつつある今、こうした映画を通して、直接には戦争を知らない世代にとって、少しでも戦争の怖さを考え直す時間となれば良いのではないかと思います。
『映画 太陽の子』
公開日:2021年8月6日(金)、全国公開
監督:黒崎博
脚本:黒崎博
出演:柳楽優弥、有村架純、三浦春馬、イッセー尾形、山本晋也、國村隼、田中裕子、ピーター・ストーメア、三浦誠己、宇野祥平、尾上寛之、渡辺大知、葉山奨之、奥野瑛太、土居志央梨、國村隼、田中裕子
プロデューサー:コウ・モリ、土屋勝裕、浜野高宏
エグゼクティブプロデューサー:井上義久、山口晋、佐野昇平、森田篤、松井智、有馬一昭、東原邦明
共同プロデューサー:山岸秀樹、松平保久、淺見朋子
ラインプロデューサー:小泉朋
配給:イオンエンターテイメント
〈ストーリー〉
1945年の夏。軍の密命を受けた京都帝国大学・物理学研究室の若き科学者・石村修(柳楽優弥)と研究員たちは原子核爆弾の研究開発を進めていた。研究に没頭する日々のなか、建物疎開で家を失なった幼馴染の朝倉世津(有村架純)が修の家に居候することに。時を同じくして、修の弟・裕之(三浦春馬)が戦地から一時帰郷し、久しぶりの再会を喜ぶ。
ひとときの幸せな時間のなかで、戦地で裕之が負った深い心の傷を垣間見る修と世津だが、一方で物理学に魅了されていた修も、その裏側にある破壊の恐ろしさに葛藤を抱えていた。そんな彼らを力強く包み込む世津はただひとり、戦争が終わった後の世界を見据えていた。それぞれの想いを受け止め、自分たちの未来のためと開発を急ぐ修と研究チームだが、運命の8月6日が訪れてしまう。日本中が絶望に打ちひしがれるなか、それでも前を向く修が見出した新たな光とは──。