展覧会「木梨憲武展 Timing ─瞬間の光り─」が、上野の森美術館にて、2022年6月4日(土)から6月26日(日)まで開催される。
展覧会「木梨憲武展 Timing ─瞬間の光り─」は、とんねるずとして活躍する一方、画家として制作も行なっている木梨憲武の展覧会だ。2018年7月の大阪会場を皮切りに、2度目となる全国巡回展の最終会場となる。
本展では、ニューヨークやロンドンの個展で発表した「OUCHI」シリーズ、「REACH OUT」シリーズから、2014年に上野の森美術館で開催された「木梨憲武展×20years」での展示作まで、絵画ばかりでなくドローイング、映像、オブジェなど、約200点の作品を一挙公開する。
展覧会の巡回中にも制作を続け、東京会場では最新作も披露。また、《ROSE》や《イエロー富士》、《フェアリーズ ─街─》など、東京初展示となる作品も多数出品される。展示方法も自ら会場に応じて決めるなど、木梨ならではの展示の雰囲気を楽しみたい。
個展を開催する木梨憲武にインタビューを実施。アート活動を始めたきっかけや制作の背景にある思いについて話を伺った。
──木梨さんは20年以上にわたってアートの活動を続けられています。絵を描き始めたきっかけは何でしょうか。
1994年、バラエティの番組のワンコーナーのことです。岡本太郎に憧れる木梨憲太郎というキャラクターで、僕も爆発したいということで始まりました。緑のインクの中に自分が飛び込む、キャンバスに飛び込む、それも一回勝負で。それから、フランスの画家対日本の僕で、絵を描いて勝負する。そこでセーヌ川を描いて、ギャラリーを3軒回って2対1で日本が勝ったことが始まりです。
──その時、セーヌ川のどのような絵を描いたのでしょうか。
フランスの画家は大きな筆でわーっと色をつけていきましたが、僕はADにマジックインキを借りて、見たままを、思ったままを描きました。彼は20、30分で終わりましたが、僕は3、4時間かかりました。でかいキャンバスに、マジック1本でスタートして、時間こそかかりましたが集中して取り組みましたね。
──絵を描く経験はそれまでにあったのでしょうか?
1回もしたことはなかったですね。小学校3年生レベルの絵を描きなさいと言われて描いた、というのがスタートです。あれ、これってどっから描くの? みたいに、描き方もわからない。見たままに、右左の寸法が合わないのを合わせながらでした。とはいえ、自分が思ったより上手く、整った絵ができたような気はしています。
そこから大きな勘違いが始まりました。落ち込んでいたフランスの若いアーティストに、まあ落ち込むな、君は若い、これからだよって、同じく若い自分が言ってましたから(笑)。
──普段から他の方が描いた絵をご覧になるのでしょうか。
あまりそういった機会は多くないのですが、審査員をさせていただいている港区の「港区児童作品展」へ行って、子供たちの作品を見る際などは、やっぱり低学年の人の作品の方がいいな、と思います。
──そういった作品から何を感じますか。
勢いがありますね。何年も続けて見ていると、彼らみたいな絵を描きたいと感じますね。小学校3年生の頃から随分経っていて、そこに行けないかな、目を瞑った方がいいのかな、でも自分のやりたいことと違うところもある、どうすれば小学生の作品にあるあの感じを出せるのかなと、よく考えます。
──絵を描き続けてきたモチベーションは何でしょう。
アートというよりも、芸能でテレビをやる、歌手が音楽をやる、役者が芝居をする、絵描きが絵を描く、それら全部に興味がありました。僕は昔から何でも屋でしたから。そこはいわば免許のいらない世界で、自分が画家になったと思えば画家だし、自分が歌手だと思えば、レコードやCDを出したら歌手だし、テレビでバラエティをやれば芸人やコメディアンだし。
当時もそういったことを思いながら、ずっと続けてきました。これらの4つや5つのことを順番に行ったり来たりしながら、飽きなく程よいバランスで、次のイメージ考えながら。それがここ何十年かの話です。