『サロメ』の挿絵をはじめ、白と黒の鮮烈な版画作品を残したイギリスの画家、オーブリー・ビアズリー。ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)の全面協力のもと、初期から晩年にいたるビアズリーの作品を一堂に集めて公開する展覧会「異端の奇才——ビアズリー」が、東京・丸の内の三菱一号館美術館にて、2025年2月15日(土)から5月11日(日)まで開催される。
オーブリー・ビアズリーは、19世紀末のイギリスで活躍するも、25歳という若さで世を去った画家だ。厚いカーテンで日光を遮り、ろうそくの光のもとで制作を行うという、独特のスタイルを貫いたビアズリーは、精緻な線描、大胆な白と黒の色面から構成される、洗練された版画作品を数多く手がけた。その代表作に、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の挿絵を挙げることができる。
展覧会「異端の奇才——ビアズリー」は、初期から最晩年まで、ビアズリーの全貌を紹介する大回顧展。世界有数のビアズリー・コレクションを収蔵するヴィクトリア・アンド・アルバート博物館から150点が一挙に来日する本展では、『サロメ』挿絵を筆頭とする代表作、同時代の絵画や室内装飾など、約220点を紹介する。
1872年、イギリス南部の海辺の街ブライトンで生まれたビアズリーは、幼いころから音楽や絵の才能に秀で、読書を好んでいたという。16歳の時、中等教育を担うグラマー・スクールの寮生活を終えると、家族のいるロンドンに移住し、働きつつ創作を行っている。ビアズリー一家は貧しい状況にあったため、ビアズリーは美術学校に通うことはできず、絵は独学で学んだのだ。
ビアズリーは、仕事を終えて自宅に戻ると、夜、ろうそくの灯かりのもとで素描の制作に没頭したという。のちに成功を収めてからも、日光をカーテンで遮り、ろうそくの灯りを頼りに制作することを好んだのは、この名残であったようだ。読書家であったビアズリーは、こうして手がけた素描を引き換えに書物を手に入れるようになり、ビアズリーの作品が人の目に留まるようになっていった。
本展の序盤では、ビアズリー初期の作品を紹介。そのひとつが、初期の代表作《「ジークフリート」第2幕》だ。リヒャルト・ワーグナーの楽劇《ジークフリート》に着想した同作の身体表現には、ビアズリーが生涯にわたって参照したというルネサンス期の画家、アンドレア・マンテーニャの版画を彷彿とさせる、硬質な描写を見てとることができる。会場では、マンテーニャの《海神の闘い》など、ビアズリーに影響を与えた美術家による作品も展示している。
1891年、国内外で高く評価されてきたエドワード・バーン=ジョーンズに温かな助言を得たビアズリーは、人生初の画家修業を数か月ほど経験。その翌年にビアズリーは、作品を目にした出版業者から、トマス・マロリー編『アーサー王の死』の挿絵一式の依頼を受けることになる。ビアズリーは、これを転機に画業への専念を決意することとなった。
ビアズリーは『アーサー王の死』のために、挿絵や装幀、縁飾りなどを350点以上も手がけ、独自の作風を開花させてゆくことになる。会場では、同書にまつわる作品を公開。全2巻の『アーサー王の死』に加えて、《アーサー王は、唸る怪獣に出会う》といった挿絵、中世の写本を思わせる装飾的な頭文字などを目にすることができる。
また、エドワード・バーン=ジョーンズやジェイムズ・マクニール・ホイッスラーなど、ビアズリーに影響を与えた美術家による作品も。バーン=ジョーンズが挿絵を手がけたヤコブス・デ・ウォラギネ著『黄金伝説』や、習作を収めた『人物像と衣紋の習作集』などを展示している。