1805年、初代・勘助が船橋屋(Funabashiya)を東京江東区に創業。
船橋屋(Funabashiya)は東京・江東区にある1805年創業の老舗和菓子店。
「くず餅ひと筋真っ直ぐに 」を経営理念に、職人の手から、店頭を通じ顧客に届くまで、一貫した「こだわり」と「おもてなしの心」に重きを置いた製造販売を行っている。
2022年、代表取締役を八代目当主の渡辺雅司から、九代目当主の佐藤恭子に交代。2023年現在、佐藤恭子が代表取締役を務める。
■こだわり
船橋屋は六つのこだわりを掲げている。
一つ目は「原材料へのこだわり」。くず餅の品質を支える重要な要素はお餅の適度なやわらかさとしなやかな歯ざわりである。それを引き出すうえで欠かせないのが乳酸菌だ。船橋屋では、厳選した小麦粉の澱粉質を地下天然水を使用して15ヵ月もの間乳酸発酵し、じっくりと熟成させる。そうして出来上がった最高品質の小麦澱粉は澄んだ乳白色でヨーグルトのような香りを漂わせる。きな粉は、厳選された極上大豆を、その日に使う分量だけ強めに焙煎し、粗めに挽く。大豆は栄養の宝庫といわれ、繊維・タンパク質・ビタミン類を含有。黒糖蜜(黒糖)は沖縄産の黒糖をベースに数種類の砂糖を独自にブレンド。黒糖はサトウキビのしぼり汁を煮詰めたもので、カルシウムやカリウムなどのミネラルや、幾つものビタミンを豊富に含んでいる。
二つ目のこだわりは、「水へのこだわり」。小麦澱粉の発酵貯蔵過程の一部で使用する水は、四季折々の自然環境に恵まれ育まれた名水、木曽川水系の地下天然水を使用。幾千年の歳月が生み出した、このミネラル豊富な天然水が、くず餅に独特のうま味と弾力を与える。
三つめは「木へのこだわり」。小麦澱粉の発酵槽は、樹齢百年以上の杉の大木を使用した深さ・直径とも約2mの大樽を使用。プラスチックや金属類の槽に比べ天然木を使用することで、その呼吸作用等から乳酸菌の働きがより活発になり、最良の小麦澱粉を作り上げることができる。
四つ目は「無添加へのこだわり」。厚生労働省が認めている食品添加物には、アレルギーの原因とされる防腐剤やPH調整剤など約350品目あり、多くの食品に使用されている。しかし、船橋屋のくずはそれらの添加物を一切使用していない自然のままの健康食品なので、子どもから年をとった人まで、安心して食べることができる。
五つ目は「鮮度へのこだわり」。船橋屋のくず餅(くずもち)の製造工程は15ヵ月だが、消費期限はわずか2日間となっている。風味をそこなう真空パックや脱酸素剤は使用せず、なおかつ出来たてのくず餅のみを迅速に顧客に届けられるよう、温度・湿度などの商品管理に細心の注意を払っている。
六つ目のこだわりは「品質管理へのこだわり」。顧客にくず餅を美味しく、そして安心して食べられるよう、江戸時代から受け継がれる伝統製法と最先端の品質管理を駆使して製造。また、船橋屋では業界に先駆け、品質マネジメントシステムの国際規格、ISO9001:2008を、「和生菓子『くず餅』の設計及び製造」に関して取得している。
船橋屋初代 勘助の出身地は下総国(千葉県北部)の船橋で、当時、下総国は良質な小麦の産地だった。勘助は、亀戸天神が梅や藤の季節に参拝客でにぎわうのを見て上京し、湯で練った小麦澱粉をせいろで蒸し、黒蜜きな粉をかけて餅を作り上げた。これが参拝客に人気になり、「くず餅(くずもち)」と名付けられ、江戸の名物となる。
明治初頭に出たかわら版「大江戸風流くらべ」では、江戸甘いもの屋番付に「亀戸くず餅(くずもち)・船橋屋」が横綱としてランクされ、船橋屋の名声を高める。芥川龍之介、永井荷風、吉川英治ら文化人もしばしば足を運んでいたという。
ちなみに、船橋屋の看板は小説家、吉川英治が書いたもの。吉川は、執筆に疲れるとパンに黒蜜をぬって食べるのが好きで、様々な蜜を試し、最も美味だと選んだのが船橋屋の黒蜜であった。この縁で、大きな文字を決して書かなかった吉川が唯一残した大看板が、ケヤキの一枚板に書かれた『船橋屋』の墨書となった。この大看板は、現在も本店の喫茶ルームに掲げられている。