抽象絵画の先駆者として近年再評価が高まる画家、ヒルマ・アフ・クリント。10点からなる大作「10の最大物」を筆頭に、すべて初来日となる約140点の作品を通して画業の全貌を紹介する大規模な展覧会「ヒルマ・アフ・クリント展」が、東京国立近代美術館にて、2025年3月4日(火)から6月15日(日)まで開催される。
19世紀後半のスウェーデンに生まれ、ワシリー・カンディンスキーやピート・モンドリアンなど、同時代の芸術家に先駆けて抽象絵画を創案した、ヒルマ・アフ・クリント。正統的な美術教育を受けたアフ・クリントは、一方で神秘主義などの秘教思想やスピリチュアリズムに傾倒し、アカデミックな絵画とは異なる抽象絵画を生みだしていった。代表的な作品群「神殿のための絵画」に見られるように、アフ・クリントは抽象表現を通して「眼には見えない実在」を探っている。それは、霊的な思想に関わるばかりでなく、同時代の科学とも関心を共有するものでもあった。
アフ・クリントの没後、1,000点以上におよぶ作品はほとんど展示される機会がなかったものの、1980年代以降、幾つかの展覧会で紹介され始めた。そして21世紀に入ると、その全貌に光があてられ、世界各地で大規模な展覧会が開催されるようになったのだ。アジア初の回顧展となる「ヒルマ・アフ・クリント展」では、「神殿のための絵画」を中心とする作品、スケッチやノートなどを展示しつつ、アフ・クリントの画業をたどってゆく。
1章では、アフ・クリントのアカデミー時代と、画家としてのキャリアの始まりを紹介。1862年、スウェーデン・ストックホルムで生まれたアフ・クリントは、1882年、王立芸術アカデミーに入学し、正統な美術教育を受けることになる。本展では、在学中のデッサンに加えて、ポピーやユリなど、植物の写生を展示。明暗と肉付けによる確かな形態把握、対象を捉える繊細な観察眼など、アフ・クリントが習得したアカデミックな技術の高さを窺うことができよう。
1887年、アカデミーを卒業したアフ・クリントは、伝統的な絵画技法を活かし、主に肖像画や風景画を手がける職業画家としてキャリアをスタート。また、児童書や医学書の挿絵にも携わっている。会場では、風景画の作品《夏の風景》のほか、書籍『てんとう虫のマリア』のためのスケッチなど、アフ・クリント初期の活動の多彩さを垣間見られる作品を紹介している。
2章では、アフ・クリントと霊的な思想の関わり、そして抽象絵画の芽生えに着目。アフ・クリントが霊魂の存在に関心を持ち始めたのは、美術を本格的に学び始めたころと同時期、17歳の時とされている。19世紀後半のストックホルムには、秘教的な思想を信じる団体が幾つか存在していたという。とりわけ思想家ヘレナ・ブラヴァツキーが提唱した「神智学」に影響を受けたアフ・クリントは、交霊の集いに通い、知識を深めていったようだ。
こうした秘教的思想が新たな表現へと繋がってゆくこととなったのが、「5人(De Fem)」というグループにおいてであった。「5人」は、1896年、アフ・クリントが親しい4人の女性たちとともに結成したグループだ。彼女たちは、交霊術でのトランス状態に入り、高次の霊的存在からメッセージを受けとって、それらを意識の統御にとらわれずに書記、描画することを試みたという。こうして残されたドローイングは、膨大な数にのぼるという。
会場では、アフ・クリントら「5人」によるドローイングの数々を展示。曲線や楕円から、波打つように連なる波線、巻貝を彷彿とさせる螺旋、そして植物や細胞といった具体的なモチーフが見てとれるものまで、ドローイングは多岐にわたっている。アフ・クリントはこうした実践を通じて、アカデミーで学ぶ伝統的な表現を離れてゆき、抽象絵画へと近づいていったのだといえる。