1890年、初代ルイ・モニッケンダムは、ダイヤモンドカッティングの会社としてモニッケンダム社を創立。
モニッケンダム(MONNICKENDAM)は、1890年にオランダ・アムステルダムで設立された、イギリスのダイヤモンドカッターズブランド。ロイヤル・アッシャー、ラザール ダイヤモンドと共に、世界三大カッターズブランドの一つとして数えられる。
創立者のルイ・モニッケンダムは、当時のダイヤモンド産業の中心地アムステルダムで、ダイヤモンド・カッターとして活躍した人物。第一次世界大戦のため、1914年にイギリスに移住。その後、ダイヤモンド産業の発展に大きく寄与することとなり、モニッケンダムはイギリスが誇る老舗のダイヤモンドカッターズブランドとして成長する。
ダイヤモンドを上から見た際、サークル上に磨き上げられたガードルが美しい光の輪のように見えるカット技術「サークル・オブ・ラスター(光の輪)」の開発、世界最高水準の技術を誇る磨きの仕上げ「スパークリング フィニッシュ」、ダイヤモンドのカラーおよびクラリティの品質をグレードで示す格付けシステムの整備など、優れたクラフツマンシップを持つジュエラーとして世界のダイヤモンド業界を牽引。
現在では、婚約&結婚指輪のブライダルコレクションをはじめ、ハイジュエリー、ファッションジュエリーなどを展開。「最高のダイヤモンド」「最高のデザイン」「最高の製品」をコンセプトに、白く豊潤なまばゆい輝きを持つダイヤモンドジュエリーを中心に販売している。
また、英国王室との深い関係性でも知られ、1948年には、エリザベス女王の結婚祝いとしてタンガニーカ(現在のタンザニア)政府から寄贈されたダイヤモンド原石のカッティングを担当。その後も両者の関係は続き、現在の王冠にもモニッケンダムがカッティングしたダイヤモンドが使用されているほか、王室が所有するダイヤモンドコレクションを修復する際のアドバイザーも務めている。
ブランドの設立は1890年。初代ルイ・モニッケンダムにより、ダイヤモンドカッティングの会社としてモニッケンダム社を創立する。
1914年、ルイはイギリスへ移住し、本社を宝石商の街として栄えるハットンガーデン、カッティング工場を英国王室の別荘地としても知られるブライトンに設立。モニッケンダムダイヤモンドは高品質の代名詞として、イギリスのダイヤモンド産業発展に大きく寄与することとなる。
1938年、世界に先駆けて、ダイヤモンドのカラーおよびクラリティの品質をグレードで示す、ダイヤモンドの評価基準を整備。
1948年、エリザベス女王の結婚祝いとしてタンガニーカ(タンザニア)政府から寄贈されたダイヤモンド原石のカッティングを担当し、世界中から称賛の的となる。以降英国王室との関係は続き、現在の王冠にもモニッケンダムがカッティングしたダイヤモンドが輝いている。また、モニッケンダムは、王室が所有するダイヤモンドコレクションを修復する際のアドバイザーも務めるなど英国王室御用達ブランドとして、イギリスを代表するブランドとなる。
1954年、2代目のアルバート・モニッケンダムは、ガードルをファセットなしで磨き上げる「サークルオブラスター」の技法を開発。ラウンドブリリアントカットのダイヤモンドを真上から見た際、ガードルがまるで光の輪のように輝きを放つことから、「サークルオブクラスター」と名付けられている。
1965年、初代から面々と受け継がれたカッティング技術の追求により、生え抜きで技を磨いてきたキース・ボーエンというカッターが、0.00164カラットのダイヤモンドに58面体のフルカットを施すことに成功。世界最小フルカットダイヤモンドは、モニッケンダムのカッティング技術の高さを示す、象徴的な出来事となる。
1966年、エリザベス女王から、英国のダイヤモンド産業、経済への貢献が認められ「英国産業賞」(The Queen’ s Award to Industry)が授与される。
2008年、南アフリカのカリナン鉱山から26.58カラットのブルーダイヤモンドの原石が採掘され、モニッケンダムがカットを行う。慎重かつ綿密な計画の元、7.03カラットの見事なクッションカットが施されると、GIA(米国宝石学会)により、ファンシービビッドブルー、インターナリーフローレスという、極めて価値の高いダイヤモンドであることが証明される。
2009年5月、モニッケンダムがカットを行い大きな話題となったダイヤモンドは、ジュネーブで開催されたサザビーズのオークションに出品され、約9億1600万円(当時)、1カラットあたり約1億3000万円の史上最高額で落札される。