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新たなる挑戦 - 「世の中が面白いことに飢えていた。」

ミハラヤスヒロにインタビュー、シューズの原点 - アートとファッションの間から | 写真
PUMA by MIHARAYASUHIRO 2014年秋冬新作シューズ

立ち上げから間もなく、プーマ バイ ミハラヤスヒロへと繋がっていくのですが、その始まりについて教えてください。

革靴に精通するなかでスニーカーにも精通しないといけないと思って、プーマ(PUMA)に提案したのが始まりです。

ファッションの世界で靴に関して出てくる言葉は、クラフトマンシップ、オーセンティックなど。皆同じに聞こえます。嫌でも疑問符が出てきますよね?
例えば、100年前の職人がそんな言葉を考えていたでしょうか?きっと新しいモノを作りたいと思っていたんじゃないでしょうか。実際、グッドイヤーウェルト製法はイノベーションでした。今も変わらないのは、それがすごいのか、それともそこから進化できなかったのか、どちらでしょう?

靴に携わるようになって、この先、自由に何か作り続ける現代の職人の姿はどこにあるのかと考えたとき、1つのヒントがテクノロジーや、最新の素材を使ったスニーカーにあると思いました。

ミハラヤスヒロにインタビュー、シューズの原点 - アートとファッションの間から | 写真

プーマと一緒に制作した理由について教えてください。

今でこそスポーツブランドがファッションと結びついていますが、当時は違っていました。”アスリートのためのスポーツブランド”みたいな。

ただ、当時からプーマはスポーツブランドでありながらファッションにも寛容でした。KORNというメタルバンドにサポートしたり、ズリーベットともサンダルを作ったりしていてね。それでプーマとやりたと思いました。

スポーツとファッションのコラボレーションの結果はどうでした?

話し合いが進み、2000年に日本だけで発売しました。すると、嬉しいことに3日もかからず完売。面白いことに、海外のドイツ本社から連絡が入って、”このモデルに対する問い合わせが多く、プーマ社としては見逃すことはできない”と言われました。今のようにインターネットで全てを見られる時代じゃなかったのですが、海外にいるスニーカーフリークの人たちが、日本の雑誌をみたりして、問い合わせたのでしょう。翌年の2001年から海外でも発売することになりました。

常に自発的に動かれていますし、動いたことが全て受け入れられていった印象を持ちますが、当時の社会はどんな環境だったのですか?

社会的に今と当時は全然違いますね。中学に入った時には、バブルが終わり、高度経済成長終焉を迎えました。大人達が作ってきた価値観が崩れました。それは世界的な現象に近かった。

海外では、アレキサンダー・マックイーンフセイン・チャラヤンが現れて。日本でも、荒川眞一郎さん、アンダーカバーの高橋盾さん、丸山敬太さんなんかが現れてきた。みんな、スタートはばらばらだけど、同時多発的に時代の空気の中から出てきたんです。

世の中が面白いことに飢えていた。ビジネスをするというより、自分たちがやることによって”何かが変わるんじゃないか”という期待感がありました。

ミハラヤスヒロにインタビュー、シューズの原点 - アートとファッションの間から | 写真
ミハラヤスヒロ シューズコレクション - 2014秋冬より

それが三原さんにとっては靴だったんですね?

僕は日本の靴業界にお世話になったから、売れないと思っているものを売ることによって、何か変わるんじゃないかと。当時はコピー社会。有名ブランドの靴を真似て作っていた世界。だからオリジナル製だけに特化したかった。そういうことで人々が変わるのではないかと思っていた。そうでないと僕みたいな人間は食べていけないでしょう。

当時の商品を実際に売るバイヤーやセレクトショップはどうでしたか?

セレクトショップもバイヤーも”売れる商品”を買い付ける風潮とは違っていました。MD(マーチャンダイジング)という言葉も、マーケティングという言葉も飛び交わなかった。バイヤーさんが面白いものを自分の目で集めて。マックイーンのどうやって着るの?っていう洋服や、フセインチャラヤンが作った洗濯できない紙の洋服もおもしろいからといって買っていたんですよ。ファションビジネスのフォーマットなんかもなかった。納期が数ヶ月遅れることも珍しくありませんでした。

反対に今のファッション業界はどうみていますか?

業界が大きくなって、決まり事が多くなりました。専門誌で365日マーケティングなど表現されていますが、何が本質的に人を喜ばせるのかわからない。大型になって場所代も、人件費もかかり、莫大なお金を産み出す装置になってしまったと思います。自分で独立してブランドを立ち上げるのはリスクが高いから、なんとかビックメゾンのデザイナーになりたいという人もでてきた。その風潮が更に進むと、自分の好き勝手にできるデザイナーは減っていくかもしれません。

パリコレでやっていても、僕ら規模のブランドが少ない。そういうのを見た時に、なかなか生き残っていけないのかな…と思ってしまいます。

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