コム デ ギャルソン・オム プリュス(COMME des GARÇONS HOMME PLUS)の2025年春夏コレクションが、2024年6月21日(金)、フランスのパリにて発表された。
楽器が旋律を奏でるなか、サイレン、ピストル、タイプライターなど、通常は音楽には括られない「音」が、突如さし挟まれる──今季のコム デ ギャルソン・オム プリュスの会場に流れた、エリック・サティによるバレエ音楽《パラード》だ。バレエの初演は1917年。衣装はパブロ・ピカソが手がけたものであり、人体の形を無視したキュビスム風のデザインなど、斬新なものであった。
《パラード》の初演が行われた1917年というと、ヨーロッパは第一次世界大戦のさなか。最新兵器の導入や戦線の膠着などを背景に「総力戦」となったこの世界大戦を経て、ヨーロッパの社会は大きく揺るがされることになった。その結果、芸術においては秩序へと回帰する動きが現れる一方、古い価値観から離れた意識もまた、人々に広まることとなる。音楽、衣装ともに斬新な《パラード》は、ことによるとこうした時代背景を反映するものかもしれない。
些か長々しく《パラード》についてふれたのは、それが今季のコム デ ギャルソン・オム プリュスのテーマ「The Hope of Light」──そこには、どれだけ小さかろうと、わたしは何かしらの光を望みたいのだ、という意味の言葉が添えられている──に、どうにか近づく回転扉になるように思えたからであった。
《パラード》の音楽は、楽器による旋律や律動と、非・楽器による音を、言うなれば隣り合わせて用いるものであった。また、ピカソが先導したキュビスムとは、伝統絵画の写実性から離れて、普通ならば同時に見えることのない部位が同一の平面に描かれるというように、現実の見方を変えるものであったといえる。相反する要素の並置。それは今季のコム デ ギャルソン・オム プリュスにおいて、ファブリックという限りなく薄い平面を通して、外側と内側、構造と装飾を問い直すことにつながっているように思われる。
外側と内側を行き来させる特権的な対象が、襞である。かつてヨーロッパの貴人を飾ったような襞飾りは、テーラリングのジャケットやコートのスリーブ、あるいはラペルにあしらわれ、華やかなボリュームを作り出している。襞とは、ファブリックという平面が互いに重なりあい、立体の量感を獲得するものにほかならない。ここで襞は、単に装いに華やぎを添える装飾であるのにとどまらず、平面からいかに立体という構造が生まれるかを示すものとなっている。そして、表と裏のあったファブリックが襞として折り重なることで、外側と内側は相互に入れ替わるようになるのだ。
この、外側と内側という関係の脱臼は、襞ばかりに見られるのではない。ジャケットには、腕周りやサイドにスリットが設けられる。あるいはスリットからはライニングを引き出し、テーラリングのソリッドな佇まいを柔らかく溶解する。あるいは、コレクションを通して多用されたシアーなチュール素材は、ミリタリーのディテールを取り入れたジャケットやコートの外側を覆ったり、コートのスリーブやロングシャツにレイヤー構造を与えたりと、衣服の外側を曖昧に揺らがせてならない。
《パラード》で異質な要素が互いにひとつの作品に溶け合っているように、異なる種類とされるウェアの要素も、ひとつの衣服として組み合わされる。テーラードジャケットには、ヴィヴィッドなピンクのシアー素材で仕上げたトレンチコートのスリーブを。あるいは、シアー素材を重ねに重ねたトレンチコートには、レザージャケットのスリーブを組み合わせた。
今、《パラード》を取り巻く時代を思いだすのならば、人々は大戦の戦禍を経て、伝統の秩序や近代的な意識の中に、何かしら「光」を見て取ったのかもしれない。翻って今季のコム デ ギャルソン・オム プリュスが「光」に──たとえそれが、消え入るようにかすかであっても──手を伸ばすのならば、どこまでも薄くはあるものの無限に造形の可能性を秘めるファブリックという平面を介して、テーラリングという伝統、互いに異質な要素の並置、そしてその緊張に、微かな「光」へと手を伸ばす希望の表現を託したのかもしれない。