ゴールドラッシュと鉄道労働者たち1870年代、当時のアメリカの労働者のニーズとしては丈夫なズボンが欲しいというものがあった。当時のズボンは作業中にすぐに切れてしまっていたのだ。ネヴァダ州のリノで仕立屋を営んでいたジェイコブ・デイビス(ヤコブ・デイビス)はそんなニーズに答えるためにズボンを作り出した。
生地に利用したのはサンフランシスコの織物商人、リーバイ・ストラウスから仕入れた白い丈夫な綿帆布。ズボンを縫っている最中に馬用のブランケットにストラップをつけるために使っているリヴェットに着目。ジェイコブはリヴェットをズボンのポケットの隅に打ちつければ、ズボンが丈夫になり、より長持ちするのではないかと考えた。
※ちなみにジェイコブはリヴェットのことをたいした手法だとは思っていなく、その後しばらくリヴェットのことは忘れていたそう。
ジェイコブの作ったズボンはその耐久性から評判になり、どんどん受注がはいるようになる。その秘密はリヴェットにあった。
ジェイコブのズボンは生産が追いつかなくなり、周りにはその成功を妬みだすものも出てきた。リヴェットのアイデアを守るために特許の出願をすることを決意するが、この出願に懸かる費用は68ドル、当時のジェイコブにとっては大金で、生地商人のリーバイ・ストラウスと折半して特許を出願することになった。これは1873年5月に正式に特許として認められる。
リーバイ・ストラウスは、ジェイコブの作ったリヴェットのついたズボンに着目、リーバイの経営しているリーバイ・ストラウス社に衣料生産部門を立上げることを決心。ここにジェイコブをネヴァダ州からサンフランシスコに呼び寄せて、生産部門の監督に任命した。こうして今のリーバイスのジーンズの原型が誕生した。
綿帆布とデニムにリヴェットを打ったズボンを生産していたが、はじめはデニムではなく綿帆布のものが多く生産されていた。しかし、デニムの耐久性が評判を呼び、徐々にデニム地で作られるズボンが増えていった。
当時、デニムを使用したズボンを生産するメーカーは数多くあり、リーバイ・ストラウス社との違いはリヴェットぐらいだったが、製品とその広告で差別化をはかった。当時人気のあった胸当てつきのオーバーオールよりも、穿きやすく、着心地の良い腰丈のズボンをメインに置いたこと、2頭の馬が引いても破れないという丈夫な製品をアピールする絵柄の「ツーホースマーク」をズボンのパッチや広告に使用してブランディングを進めていった。
広告に恥じないよう、素材も丈夫なものにすること、良い製品をつくることを徹底的に追求していった。そして、1890年ごろにこの一環で最高級の製品に「501」というロットナンバーがつけられた。
技術を生み出したのがジェイコブとすると、イメージを作り出したのはリーバイだった
リーバイ・ストラウスのデニム生地のズボンが「ジーンズ」と呼ばれるのが1920年頃、リーバイ・ストラウスの製品が世界に広まるのが1950年ごろだが、素材にデニムを使用する基盤ができたのは1870年ごろから1900年頃だった。
第2章はジーンズとカウボーイについて