ファッションの歴史はシーズンごとに変わるトレンド(流行)の歴史であったと言える。トレンド(流行)とは多くの人々に共有される価値観、社会的な現象の一つで、価値観の特性だ。
ざっくりと言えば、スカート丈やシルエットが一斉に打出され、それがトレンド(流行)になるのが60年代頃までの主流。ディオールのニュールックに代表される50年代までのライン時代、クレージュやマリークワントのミニスカートがその代表と言える。
トレンドは1970年代をきっかけに大きく変化。それは一言に「多様化」、バリエーションの時代に突入していく。プレタポルテのコレクションの傾向も徐々に多様化していく。それぞれのデザイナーが思い思いにコレクションを発表し、個人が自分の好きなデザインを選ぶ、そして着る、それがファッションとなる。
1970年代のファッションシーンは、既に圧倒的な地位を確立したイヴ・サンローランとケンゾーがファッションリーダーに君臨して進んでゆく。その他のデザイナーでは、イッセイ・ミヤケ、カステルバジャック、ソニア・リキエルなどが活躍する。
高田賢三が立ち上げたケンゾーのファッションは70年代のパリコレクションで中心を担い、常に話題を提供する存在だった。そのファッションの特徴がまさに「多様性」。一つのシーズンのコレクションにはエスニックで装飾的なフォークロアスタイル、クラシカルでベーシックなもの、スポーティブなものなどいくつかの柱があり、様々な提案をおこなった。さらに、アバンギャルドな若者ファッションのセンスを取り入れているが注目すべき点だ。
プレタポルテがスタートし、高級既製服の方向へ向かいつつはあったが、パリで発表されるハイファッションの世界は若者向けのデザインやオリジナリティはマイノリティで、伝統的主義が残っていた。そんな中、日本から身一つでフランスに渡った高田賢三はそのような伝統主義を飛び越え、若者の圧倒的な支持を得た。
このあたりの時期からファッションショーが発表というよりは「ショー」、見せ方が中心となり、「ジャーナリズムに話題を提供する見世物にすることが、消費者に注目される」図式が成立していった。その中心にいたのは「エキサイティングで楽しいショー」ともっぱら評判だったケンゾーだ。
フォークロアとは「民族、民間伝承」という意味。ファッションでは、主に民族衣装にイメージを求めたスタイルを指す。ケンゾーは、”東洋が西洋と出会う”がベース。そして、日本のエッセンを持ちながらも、アジア、アフリカ、東欧などの世界各地の民族衣装をテーマにしたコレクションを発表していった。彼の他にもイヴ・サンローランなどもフォークロア・ファッションを提案していた。
ケンゾーを例に挙げると、1973年秋冬シーズンはニットを使用しワークウェアを取り入れた「農民ルック」、1974年秋冬は「ペルー・ルック」や着物や袴を取り入れたスタイル、75年秋冬中国ルック、76年春夏「アフリカン・ルック」、76年秋冬「インディアン・ルック」、77年春夏「ギリシャルック」、79年春夏「エジプトルック」など毎年話題を提供していた。
1960年代ファッションの反動から、70年代はクラシックな傾向があった。60年代に流行したミニスカートから一転して、70年代に入るとロンゲット(longuette)という長いスカートやケンゾーが提案したビッグルックが話題を集めた。ビッグルックはクラシックなロンゲットと違い、エスニックなルーツから生まれたもの。ワークウェアやスポーティーの性格があり、より広く一般のファッションとして受け入れられた。
1977年に、デザイナーとしてジーンズを取り上げたのが、カルバン・クライン。ブルック・シールズが「カルバンのジーンズと私の肌の間には何も入れない」というキャッチコピー(1980年代前半)は爆発的な話題を呼び、カルバンクラインのジーンズは大ヒットしていった。