特集展示「東アジアを駆け抜けた身体(からだ) ─スポーツの近代─」が、千葉・佐倉の国立歴史民俗博物館にて、2021年1月26日(火)から3月14日(日)まで開催される。
日本に“スポーツ”の概念が輸入されたのは明治期のことだ。特集展示「東アジアを駆け抜けた身体(からだ) ─スポーツの近代─」では、身体の改変や近代オリンピックへの参加といった歴史を共有してきた日本と台湾の「近代化」に着目し、約150年間のスポーツの近代史をひもとく。
全4章から構成される会場では、日本植民地期の台湾人アスリート・張星賢(ちょう せいけん)の競技人生を中心に、1964年の東京オリンピック関係資料や、近代の学校運動会に関連する錦絵・写真・肉筆漫画など約120点の資料を展示する。
日本では近世まで、膝を曲げた状態での歩行や前屈みの姿勢などは、特におかしなものではなかった。しかし幕末以後、こうした姿勢は西洋人から奇異の目を向けられるようになり、直立する姿勢が求められた。そして1900年以降には学校教育などを通して、西洋からもたらされたスポーツが浸透してゆくこととなる。その一方、日清戦争後に日本に割譲された台湾では、日本式の学校が増加するにつれて、漢族の文化・纏足(てんそく)が体操や通学に支障を来すものとして、その賛否について論じられるようになった。
第1章では、近代化が進む日本・台湾における身体観の変容を紹介するとともに、スポーツがもたらされる過程やそこで生じた葛藤を、「児童教育体操運動図絵」や「女子スポーツ双六」(『主婦の友』1925年1月号付録)といった資料から概観する。
台湾の割譲、樺太の南半分の領有、そして韓国併合により「帝国日本」が完成する20世紀初頭は、ヨーロッパでは近代オリンピックが開催されるようになった時期でもあった。日本国内では、中等教育機関や高等教育機関に進学した一部の男子生徒により野球やラグビーなどのスポーツが担われるとともに、オリンピックに参加するエリートも輩出。また、ラジオ体操も1920年代に作られ、全国のみならず植民地の学校でも実施された。
第2章では、20世紀前半にスポーツが帝国日本内に波及する様子を紹介。子どもの参加を促すラジオ体操参加カードなどからは、ラジオ体操の普及しつつある当時の様子を垣間見られそうだ。
帝国日本内の台湾や朝鮮から、日本選手としてオリンピックに出場する選手が現れるのは、1932年のロサンゼルス大会と1936年のベルリン大会のこと。そしてその両大会に出場したのが、台湾人の張星賢であった。張星賢は、台湾で生まれ育ち、日本の早稲田大学に進学して、学生陸上の名門であった早稲田大学競争部に入部。 そして就職とともに満洲でも競技人生を送ったのであった。
張星賢に着目する第3章では、彼が獲得した日本の陸上競技大会やオリンピック関係のメダルなどとともに、激動の時代の世界史・日本史をひもとく。
第二次世界大戦後の日本では、野球などのスポーツが戦時中に休止していた大会を再開するとともに、過度な集団性や規律性ゆえに刷新されたラジオ体操も誕生。さらに、戦後復興と高度経済成長を下支えした企業がバレーボールなどの名門チームを育成し、1964年の東京オリンピックでの日本チームの活躍を後押しした。
その背景には、戦争で社会的・経済的基盤の多くを喪失した日本において、スポーツ選手の活躍は、人びとが失われた一体感や誇りを再創造して獲得するとともに、社会関係を再び紡ぎだす格好のメディアとなった、ということがあるだろう。第4章では、東京オリンピックの開会式ジャケットやメダルといった資料から、戦後に再編成された日本のスポーツの歴史を振り返る。
特集展示「東アジアを駆け抜けた身体(からだ) ─スポーツの近代─」
会期:2021年1月26日(火)~3月14日(日)
会場:国立歴史民俗博物館 企画展示室B
住所:千葉県佐倉市城内町117
休館日:月曜日(休日の場合は開館、翌日休館)
開館時間:~2月 9:30~16:30 / 3月~ 9:30~17:00
※入館は閉館30分前まで
※開館日・開館時間は変更となる場合あり
料金:一般 600円、大学生 250円、高校生以下 無料
※総合展示もあわせて観覧可
※高校生および大学生は学生証などを要提示(専門学校生など高校生および大学生に相当する生徒・学生も同様)
※障がい者手帳等保持者は手帳提示により、介助者とともに入館無料
※半券の提示で当日に限りくらしの植物苑に入場可
※内容は変更となる場合あり
【問い合わせ先】
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TEL:050-5541-8600 (8:00〜20:00)