ミュージカル映画『シラノ』が、2022年2月25日(金)より公開される。その監督を務めたジョー・ライトにインタビューを敢行。不朽の純愛三角関係を描いた名作戯曲を映画化するに至ったきっかけや、作品に込めた思い、キャラクターの魅力について話を伺った。

“古典映画の名手”ジョー・ライト、『シラノ』との出会い

■ライト監督は、『プライドと偏見』(05)、『アンナ・カレーニナ』(12)、そして『シラノ』と多数の古典作品を手掛けています。なぜ、古典のジャンルで映画を作ろうと？

僕は失読症なんです。16歳くらいまであまり読み書きができませんでした。だから、「学び」という意味で、追いつかなければ、という思いが常にあるのかもしれません。古典文学を映画化するということは、文学そのものを学ぶ良い機会でもあります。

それに、古典文学を映画化するとなると『アンナ・カレーニナ』の脚色をしたトム・ストッパードや『つぐない』の原作を書いたイアン・マキューアンのような素晴らしい師にも出会えるのが、何にも代えがたい大きなメリット。巨人たちの足元に座り、彼らから沢山学ぶことができるわけです。僕の映画は常に、学びのプロセスの中にある。自分が知っていることについての映画を作るのではなく、知らないことについて映画を作っているのです。

■『シラノ』は古典作品の中でも、すでに世界中で何度も上演されている人気戯曲。今改めて映画化した背景は何でしょうか。

きっかけは、コネチカットの小さな劇場で行われた「シラノ」のワークショップ公演を観に行った時でした。もともと大好きな作品だったのですが、その時は特に新しいものを期待していませんでした。

けれど、主演のピーター・ディンクレンジが鼻を付けずに(※)シラノを演じているのを観た時、突如として「ずっと好きだったこの物語の新しいバージョンはここにある！」と感じたのです。魅力的で、現代的で、感情に訴える、身近でリアルな「シラノ」がそこにはありました。それは非常に衝撃的な出来事で、ピートのキャスティングが、僕のこの物語への愛を呼び起こしたと言えます。

※原作のシラノは鼻が非常に大きな男として描かれている。ジョー・ライト監督は、ワークショップ公演の“つけ鼻”のないシラノの演出が気に入り、映画化の際にもピーター・ディンクレンジに鼻の演出を加えていない。

■それがきっかけで、映画版『シラノ』の主演にもピーター・ディンクレンジを起用したのですね。今回の映画作りは、原作だけでなく、モデルとなった演劇作品もあることから、他作品に比べて映像化しやすかったのではないでしょうか？

いいえ。実は文学よりも、演劇を映像化するほうが、僕はずっと難しいと感じているのです。なぜなら、演劇と映画は互いが“近すぎる”存在であるため、映画が演劇というメディアの境界から抜け出すためにはいつも以上の努力をしなければならないんですよ。歴史的に見ても、映画は＜独立した芸術＞と自らを定義して演劇と差別化を図ってきたので、“演劇にはないもの”を映画『シラノ』で作ることは、過去の映画制作よりもずっと大変な作業でした。

＜アウトサイダー＞にスポットライトを

■主人公のシラノは、優れた詩を書く才能を持つ人物。そんなシラノが紡ぐ物語は、“言葉”がキャラクター同士を繋ぐ重要な鍵を握っていましたね。

そうですね。けれど、この映画は「愛してる」と言葉に出せない男の物語なんです。言葉を巧みに操るシラノにとって、それは彼の本心を隠す仮面にもなっている。つまりシラノの中で言葉とは、スーパーパワーであると同時に、“呪い”としての役割も持つものなのです。

一方、シラノの恋のライバルとなるクリスチャンは、本心を隠せるほどの言葉数を持ち合わせていないんですよね。だから言いたいことはストレートに言う。すぐに「愛してる」と言える。人を欺いたり、人を繋げたり…対極の性質を併せ持っているのも言葉の魅力かもしれません。

■主人公・シラノはもちろん、これまでライト監督が描いてきた人物は、芯の強さと人間らしい繊細さを兼ね備えているのが印象的です。各キャラクターに共通点はあるのでしょうか。

これまでの作品を振り返ってみると、どの作品にも＜アウトサイダー＞的な要素はあると思います。シラノはもちろん、『プライドと偏見』のエリザベス・ベネットは周囲に溶け込めなかったし、『ハンナ』(11)や『アンナ・カレーニナ』のヒロインたちも社会に馴染めなかった。世界の仕組みがよく分からず、それを理解しようとしているひとりの人間として、私はアウトサイダーに惹かれるのだと思います。

■一方本作のヒロインであり、シラノとクリスチャンの三角関係に挟まれたロクサーヌは、原作とは異なり、聡明で可愛らしい女性として描かれていたのも意外でした。

『シラノ』の脚本は、原作からかなり変更して練ってきたのですが、中でもロクサーヌは大きなアレンジを加えた人物のひとりです。以前から、原作の中でロクサーヌは過小評価されすぎていると感じていたので、映画の中ではもっと現代にマッチした主体性のある女性を描きたいと思ったのです。

■具体的にいいますと？

例えば原作の中でロクサーヌは、文学に興味を持っている女性のグループを意味する「プレシュー」と表現されていました。この「プレシュー」とは、英語で言えば「プレシャス」、つまり“過剰に凝っていて、こだわりが強すぎる女性たち”を意味する軽蔑的な言葉として受け取ることができます。当時は、女性が文学に興味を持つことが真剣に捉えられず、むしろ馬鹿にするものだと考えられていたのでしょう。

だからこそ映画の中では、そんなロクサーヌに光を当てて、僕が知る全ての聡明な女性たちを表現する存在にしなければいけないと感じていました。女性だからという理由で、相手に不名誉なレッテルを貼ってはいけない。ロクサーヌ役のヘイリー・ベネットだって、そんな侮辱的な呼び名を受け入れないでしょうしね！実はロクサーヌのモデルとなったのは、僕の実の姉でもあります。彼女は僕以上にタフで聡明なだけでなく、誰に対しても平等な態度を取る人物で、僕が描くキャラクターのインスピレーションとしても度々登場するんですよ。

“人との繋がり”がテーマ

■『シラノ』はクラシックな物語を綴りながら、新しい世代にも響く作品となっているんですね。

はい。そして愛と、＜人と人＞との繋がりの必要性を描いた作品だと思っています。このテーマは、今の僕たちには特に必要なものなのではないかな。なぜなら、僕たちは今、人とうまく繋がれないことが多くあるから。少なくとも僕は、人との繋がりを難しいものだと感じている一人です。

例えばSNSだって、＜人と距離を置くための発明＞でもあると思うんですよ。だって本当の自分自身ではなく、“周りが好みそう”な人格を見せ合って楽しんでいるでしょう？なにかの仮面に隠れて人と距離を置いてしまうという点で、僕たちとシラノは通じていると思うんですよね。

■私たちは“現代のシラノ”である、と。

はい。特にここ数年、僕たちは人と会うことができない孤立状態を余儀なくされてきました。だからこそ、その経験が“今”『シラノ』を作ろうという強い決意に繋がったのです。みんな人との繋がりに飢えていたから、繋がりについての映画を作りたかった。映画作りの仲間や観客との繋がりはもちろん、観客同士もこの映画を通して繋がってくれればいいなと思っています。

だから僕がこの映画で最も伝えたいのは、「親密になることを恐れないで」というメッセージ。けれど、これは僕にとっても凄く難しいことだから…。生涯をかけて実践していくものなのかな、とも思っています。(笑)

【作品概要】
ミュージカル映画『シラノ』
公開日：2022年2月25日(金)
出演：ピーター・ディンクレイジ、ヘイリー・ベネット、ケルヴィン・ハリソン・Jr.
監督：ジョー・ライト
製作：ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、ガイ・ヒーリー
脚本：エリカ・シュミット
原作：エリカ・シュミット
製作総指揮：エリカ・シュミット、サラ＝ジェーン・ロビンソン、シーラズ・シャア、ルーカス・ウェブ、マット・バーニンガー、カーリン・ベッセル、アーロン・デスナー
音楽：ブライス・デスナー＆アーロン・デスナー
原題：CYRANO