カナコ サカイ(KANAKO SAKAI)の2023年春夏コレクションが発表された。
紀貫之は詠む──「桜花散りぬる風のなごりには水なき空に浪ぞ立ちける」。春の柔らかな風に桜の花は散り、その名残のごとく、空という水なき水面に細波がふるえる。「名残」が「余波」と語源を共有するように、「なごり」という語に誘われて、空は水に映り、水は空を流れる。風と水という流動的なモチーフがひとつの歌のなかで互いに移ろい、明晰な像を結ぶことなく揺らめいてやまない。
平安時代に編纂され、貫之自身も撰者を務めた『古今和歌集』に収められているこの古歌を引いたのはほかでもない、今季のカナコ サカイが、すぐれてこの移ろいの感覚に基づいているからだ。たとえばトレンチコートには、京都の職人の手仕事によるぼかし染めと墨流しの技法を用い、流れるように繊細な色彩の移ろいを表現している。あるいはデニムジャケットやパンツには、ブリーチ剤を手で擦りこむようにして施すことで、水面とも空とも知れぬ、柔らかな模様を生みだした。
平安時代の貴族が、雅やかな遊びとして楽しんだ墨流し。これを装飾技法として用いた現存最古の例が、三十六歌仙の和歌を集めた平安末期の『西本願寺本三十六人家集』のうち、すでに名前を挙げた紀貫之と、凡河内躬恒の和歌の料紙だとされる。そしてこの装飾料紙に華やぎを添える金泥や銀泥、雲母の型紋様のきらめきもまた、キュプラの光沢が際立つテーラードスーツ、ラメ糸を織り込んだキャミソールワンピースやシャツなどへと反映されている。
カナコ サカイがその根幹とする素材は、日本各地の産地で培われた技術を用いたオリジナルのテキスタイル。そこに交錯する、移ろいの感覚。とはいえコレクションは雅やかでノスタルジックな雰囲気を纏うよりもむしろ、シャープな構築性によって洗練された雰囲気を醸しだしている。上述のテーラードジャケットやワイドパンツは、自然な風合いを持つリネン、光沢を帯びたキュプラにハリのあるレーヨンを組み合わせることで、構築的なシルエットを実現。あるいは長めの丈感に設定したデニムジャケットなどには、ヴィンテージジャケットに着想したパターンを採用し、立体的なフォルムに仕上げている。
色彩も例外ではない。和歌が移ろいゆく自然の諸相を言葉へとおき留めるように、空や水面をうつしだすライトブルーや、若葉を思わせるライムグリーンを用いるほか、かつて着物を彩ったであろう紅やパープルなどもまた採用されている。しかしこれらを、十二単に見るような重ねの妙に用いるのではなく、ウェア全体に単色でのせることで、繊細な色彩が持つ濁りない力強さを引き出した。