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Charles Frederick Worth

シャルル フレデリック ウォルト

ブランドのはじまり

シャルル フレデリック ウォルト(英語:リチャード・ワース)が自身の名を冠したブランド「シャルル フレデリック ウォルト」を設立。

シャルル フレデリック ウォルトについて

シャルル フレデリック ウォルト(Charles Frederick Worth)は1825年、イギリスのリンカンシャー生まれ。(フランスに渡り後にシャルル フレデリック ウォルトという読みになったが、当初はチャールズ・フレデリック・ワースと呼ばれていた。)

弁護士の家系に生まれるが、酒飲みの父の行動上、奉公に出るなど、それほど裕福な生活は送っていない。38年ロンドンの布地店で働き始め、45年から王室ご用達の絹織物商のルイス&アレンビーで働く。この頃のイギリスの工業化を目のあたりにし、後にフランスでオートクチュールのシステムの採用に繋がる。

当時のヨーロッパのファッションはメンズウェア(紳士服)ではイギリスが先行していたが、レディースウェア(婦人服)ではパリに遅れていた。このような背景から、レディースウェアでの挑戦を目指したウォルトはパリに渡る。

パリに渡った当初は、言葉の面でも、国籍の面でもよそ者扱いで、1年~2年はまともな職には就けなかったが、47年、高級な絹物を取り扱う「ガシュラン」で職を得て、フランスのでキャリアをスタートした。ここで約10年間働く。その間、自分が筆頭となり婦人服仕立部門をつくり、生きたマヌカン(人台)に服を着せて顧客やバイヤーに披露・販売する方法を創案した(モデルという職業の発端)。なお、同店の売り子でウォルトのコレクションのモデルにもなったフランス人マリ・ヴェルネと結婚している。

1858年、ガシュランで同僚だったスウェーデン出身のボベルグとともに、クチュール店「ワース・エ・ホベルク」を創設。

布地の仕入れ、アトリエ、専属マヌカン、年4回の創作衣装の発表会(コレクション・ショー)など、経営と創作を統合するシステムをつくり、効率化に成功。オートクチュールのシステムの基礎を築く。この功績によりオート・クチュールの祖と現在でも言われている。(詳しくはオートクチュールの誕生を参照)

はじめは顧客が付かずに苦労するが、フランス皇帝ナポレオン3世の皇后ウジェニーがウォルトのコレクションを着たことがきっかけで、ウォルトのメゾンが成長。皇室ご用達のクチュリエとしてフランスのファッション界に大きな力をもつことになる。

ウォルトがナポレオン3世に起用されたのは、当時皇帝の悩みの種であったフランス、リヨンの絹織の衰退を引き出したことが理由で、ウォルトはリヨンの絹織を使用し、リヨンを復興させる、と約束したことがきっかけだった。事実としてリヨンの絹織業界は復興した。

1868年、「フランス・クチュール組合」を創設。(これは現在のパリ・クチュール組合)

1895年に死去。

メゾンは息子のジャン・フィリップ・ウォルトと、ガストン・ウォルトが引き継ぐ。ジャン・フィリップがデザインを担当し、ガストンが経営面を担当した。(この頃からメゾンがシャルル フレデリック ウォルトと呼ばれるようになった)この時期にポール ポワレがデザイナーとしてメゾンで働き、デザインのシンプル化を促したが、豪華なデザインを好む、ジャン・フィリップと対立して、ポワレは独立の道を歩んでいる。

このように時代の流れに逆らい、ウォルトのメゾンは徐々に衰退してゆく。

ウォルト香水(Parfums Worth)を発表。現在もパリに香水を取り扱ったショップがあり、子孫のロジェ・ウォルト(Roger W.)が経営している。

1954年にオートクチュールとしてのメゾンはクローズ。

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