LVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH Moet Hennessy Louis Vuitton S.A.)」(以下、LVMHと記載)は、フランスを本拠地とするファッションを中心にラグジュアリー商品に特化したコングロマリット企業。
1987年、ルイ・ヴィトンとモエ・ヘネシーの両社が合併して誕生。89年ベルナールアルノー率いるクリスチャン ディオールがLVMHを買収したことで誕生。以後、拡大を続け様々なファッションブランドを展開している。
■ファッション・ビューティー
ディオール、ルイ・ヴィトン、ジバンシィ、ティファニー、ブルガリ、フェンディ、セリーヌ、ロエベ、ケンゾー、ベルルッティ、トーマスピンク、エミリオ・プッチ、ダナ キャラン、ゲラン、アクア ディ パルマ、タグ・ホイヤー、リモワなど。
■ワイン・スピリッツ
モエ・エ・シャンドン、ヘネシー、ドン・ペリニヨン、ドン・ペリニヨンなど。
LVMHに加えてグッチ、バレンシアガなどを傘下に持つケリングとカルティエ、クロエなどを傘下にもつリシュモンが世界のラグジュアリーブランド多数を抱える企業のトップ3である。
■ベルナールアルノー
ベルナールアルノーは1949年フランス生まれ。建築会社を営む裕福な家計に育つ。71年、フランスのエリート輩出校であるエコール・ポリテクニークを卒業。卒業後、父の建築会社に就職。28歳の若さで経営者としての地位を得る。その後、建築業から不動開発業に進出。80年代アメリカに進出し不動産業を営むも経営的には失敗。しかしここでM&Aなどアメリカ的経営手法を学ぶ。
84年フランスにクリスチャン ディオールを傘下に持つブサック・サンフレール社の買収に乗り出す。(当時ブサック・サンフレール社は経営危機からフランスの国営企業となっていた。)ブサック・サンフレール社はアルノーの会社の約12倍の規模の企業であったが、投資銀行と組み、緻密な事業再建計画を建て、買収に名乗りを上げていた企業に打ち勝ちブサック・サンフレール社の買収に成功した。
この買収の目的はもちろんディオールを手中におさめることだったことは言うまでもない。アルノーがブランドビジネスに参入した理由としては、アメリカでビジネスをしていた頃に、「フランスと言えばディオール」とイメージするアメリカ人が多く、その世界的知名度に衝撃を受けたこと、高級ブランドは一度衰退しても、復活することができるという信念からファッションブランドのビジネスに将来性を感じたからだったという。
このような経緯でアルノーは事業の中心を不動産からファッションに切り替え、クリスチャンディオールの再建を始める。自身の経営手腕と金融知識に、ファッション産業に精通した人間を採用することなどファッションと経営との両側面の強化を続けた。
その後、1987年セリーヌを買収。これはバッグなどの革製品に遅れをとるディオールとの相乗効果を狙ったものだった。
87年、クリスチャン ラクロワを設立しグループに加える。(ラクロワはベルナールアルノーがその才能にほれ込み出資して自身のブランドを設立させたものでブランドを次々に買収する戦略をとるアルノーの行動としては異例のものだった。ただし後にブランドを売却している。)
■クリスチャンディオールの再建
ディオールのブランド再建は80年代、カール ラガーフェルドがシャネルの再建に成功したことを手本にした。それはブランドの伝統を尊重しつつも新しさを取り入れていくもので、ブランドの若返りを実現するものであった。ちなみにこの時のディオールはマルク・ボアンがデザインを担当しており、ブランドとしての新しさは枯渇し、過去の遺産のみで運営している状態だった。
89年、イタリアを中心に活動し、世界的にも評価されていたジャンフランコ フェレをディオールのデザイナーに迎える。ここからディオールは若さを取り戻してゆく。
■LVMHの買収
1987年、ルイ・ヴィトンとモエ・ヘネシーの両社が合併してLVMHが誕生。
この合併は折半出資により持ち株会社のLVMHを設立し、その下にルイヴィトンとモエへネシーがあるものだったが、両社の経営陣が対立する形になっていたため企業としてはうまく機能していなかった。
88年、この対立の中でアルノーが提携という形でLVMHの株40%まで取得。(買収資金を調達するために、84年に買収したブサック・サンフレールの事業の大半(ディオール以外を売却)※87、88年とLVMHはジバンシィの香水部門、衣料部門をそれぞれ買収している。
89年アルノーはさらに株を買い増し、LVMHを手中に収める。こうしてクリスチャン ディオールが、LVMHを傘下に抱える形になり、ジバンシィ、ディオール、セリーヌ、ルイ・ヴィトンなどのファッションブランドと多数の高級酒ブランド抱えうる巨大コングロマリット企業が誕生した。
なお、アルノーがLVMHを買収したのはモエへネシー傘下にある高級酒(ドンペリ、モエシャンドン、へネシー等)の安定的な事業とバッグで世界的な強さをもつルイヴィトンを手中に収めることで会社としての安定性を強化すること、バッグと衣料ファッション的相乗効果などを狙ったもの。
■更なる買収
巨大ファッションブランド帝国を築き上げたベルナールアルノーは留まることなくその後もファッションブランドを買収、傘下に収めてゆく。具体的には93年ケンゾー、94年ゲラン、96年ロエベ、99年トーマスピンク、2000年エミリオ・プッチ、2001年ダナ キャランとフェンディ、2011年ブルガリ、2016年リモワ、2021年ティファニー等。
■新鋭デザイナーの起用
クリスチャンディオールの再建と同様に買収した各ブランドには若返りの戦略、注目の若手デザイナーの起用を行なった。
クリスチャン ディオールにはジャンフランコ フェレの後任として、96年にジョン ガリアーノが就任。クリスチャン ディオールはガリアーノの功績もありさらに躍進した。ジバンシィはガリアーノ、アレキサンダー・マックイーン、ジュリアン マクドナルド、オズワルド ボーテングなどのデザイナーが就任していった。
セリーヌは1998-1999年秋冬から就任したマイケル・コースがブランドを再興、大きく躍進させた。その他、ケンゾーのアントニオ マラス、ロエベはナルシソ ロドリゲス、ホセ エンリケ オナ セルファなどがデザイナーに就任した。
ルイヴィトンは1998-1999年秋冬からプレタポルテ(既製服)に参入。プレタポルテ部門を立ち上げたのはアメリカで高い評価を受けていたマーク ジェイコブス。クリエイティブディレクターに就任し、衣料、バッグ、アクセサリーとすべてを統括し、これまでのルイヴィトンのバッグに若さと新しさを取り入れた。(日本ではルイヴィトンのブームが起こるなどブランドは大きく成長)