1933年、テニスプレイヤーのルネ・ラコステが「ラコステ」を創業。
ラコステ(LACOSTE)は、ルネ・ラコステが創業したフランスのスポーツテイストのアパレル企業であり、現在は香水、革の製品、時計、眼鏡類、そしてポロシャツを扱っている。
ルネ・ラコステは1904年7月2日生まれ(1996年10月12日死去)。フランス語読みのフルネームは「Jean Rene Lacoste (ジャン・ルネ・ラコスト)」。フランス・パリ出身の男子テニス選手であり、テニスを引退後、スポーツウェアのブランドを設立した。
15歳のときにテニスを始める。父親は自動車製造業者で富裕な家庭で育った。「テニスをするなら、世界チャンピオンになる目標を5年以内に達成する」という約束の下、テニスを始めた。
1923年、男子国別対抗戦・デビスカップのフランス代表選手となり、当時フランスを代表するテニスプレイヤーだった、アンリ・コシェ、ジャン・ボロトラ、ジャック・ブルニョンの4人を合わせて、フランスの「四銃士」と呼ばれた。
ラコステの4大大会初優勝は、1925年のウィンブルドン選手権。同年、全仏選手権(現在の全仏オープン)でも初優勝を果たす。ラコステその後、4大大会のシングルスで、全仏選手権3勝、ウィンブルドン選手権2勝、全米選手権(現在の全米オープン)2連覇を達成し、通算「7勝」を挙げた。しかし1929年の全仏選手権で、3度目の優勝を成し遂げた後、ラコステは結核のため25歳にして引退を決意。
ラコステは引退から4年後、ポロシャツのデザインを始める。当時フランスで最大のニット製造会社のオーナー社長のアンドレ・ジリエと組んで、緑色のワニのロゴが刺繍されたポロシャツを製造する会社を設立。ブランドのトレードマークでもあるワニ(The Alligator, Crocodile)は、ラコステの現役時代の粘り強いプレイスタイルからついたニックネームが由来。ブランドのポリシーとして品質、心地よさ、丈夫さを追求した。
※日本では「クロコダイル」(Crocodile)というアパレルの商標権者はラコステ社とは別の会社が保有しており、ラコステは日本語公式サイトでは「ワニ」という表記のみを用いている。
ブランド創業の背景としては、ラコステの時代のテニスウェアは白のシャツにパンツと言う格好で、決して運動に適している服装ではなかったことに対する不満が関連している。ラコステは半袖、襟がリブニットボーダーの軽く伸縮性に優れたニットシャツを開発。これがテニスシャツのデザインのきっかけ、ラコステ創業、さらには現在もラコステの看板商品であるポロシャツの原点でありへとつながっていく。
テニスウェアの発表後、ゴルフやセーリングなど種々のスポーツ種目を対象にしたポロシャツのデザインを次々と発表。こうしてラコステは、画期的なスポーツ・ウェアとして早くから高い評価を集め、世界のトップブランドにまで上り詰めた。
1973年、アメリカの映画監督リチャード・レスターがデュマの小説『三銃士』を映画化、翌年には1920年代に活躍した4人のフランス人テニス選手のドキュメンタリーも発表した。
ラコステは1996年10月12日に92歳で死去。
2002年春夏より、ルメールのクリストフ・ルメールが「ラコステ」のクリエイティヴ・ディレクターに就任。伝統を守りつつもルメールのカット、色彩、斬新さを活かし、「ラコステ」ブランドを成長させる。
2011年、フェリペ・オリヴェイラ・バティスタがデザイナーに就任。
フランス生産のラコステのポロシャツは他国生産のものは違い、細身で着丈が長くシルエットが美しいため、「フレンチ・ラコステ」と呼ばれ珍重されている。
2011年春夏シーズンより若者向けライン「LACOSTE L!VE(ラコステ ライブ)」をスタートする。LACOSTE L!VEは、ラコステがこれまで掲げてきた、フレンチ・プレッピー、スポーティブ・エレガンスの伝統を踏まえて、よりヤングターゲットに向けたフィットとデザインを次世代へ提案。
2012年5月、アジア初の旗艦店を渋谷・明治通りにオープン。
2018年5月、フェリペ・オリヴェイラ・バティスタが退任。新たに、ラコステで初の女性クリエイティブ・ディレクターとしてルイーズ・トロッターが就任し、2019-20年秋冬のパリコレクションでデビューを飾る。トロッターは2023年1月に退任した。
2023年、クリエティブディレクターにペラジア・コロトロス(Pelagia Kolotouros)が就任。ペラギア・コロトロスは、ギリシャ系アメリカ人デザイナーで、過去にザ・ノース・フェイスやアディダスで活躍してきた。