ジャンルイ シェレルが自身の名を冠したブランド「ジャンルイ シェレル」を設立。
ジャンルイ シェレル(JEAN-LOUIS SCHERRER)は1935年、フランス、リヨンの生まれ。幼少期はバレエダンサーを目指すが、事故により断念。これを機にバレエなどの舞台衣装のデザイナーへ目標を変えて、ファッションの世界へ飛び込む。
パリ・オートクチュール組合学校に入学。在学中にその才能がクリスチャン ディオールの目に留まり、スカウトを受けて、ディオールのメゾンに入る。55年から57年までディオールのメゾンでアシスタントデザイナーを経験。ディオールのメゾンでは、カッティングやドレープのテクニックを学ぶ。ディオールのメゾンでは当時、在籍していたイヴ・サンローランとともに働いていた。
ディオールの死後、イヴ・サンローランの元で約2年働き、その後、ルイ フェローのもとでさらに2年間経験を積む。
1962年、自身の名を冠したオートクチュールメゾン「ジャンルイ シェレル」を設立。78年からはプレタポルテに進出。80年にはデドール賞を受賞。
ジャンルイ シェレルのデザインは、エレガント、洗練され、セクシーさも備えているが、決して下品さはなく、バレエの影響を大きく受けている。ソフィアローレン、ケネディ婦人など当時のセレブリティが顧客についていた。
79年、初の香水「ジャンルイ シェレル:JEAN-LOUIS SCHERRER」、86年にも香水「シェレル2:SCHERRER2」を発表。
90年代になると、時代の変化についていけず、ブランド徐々に衰退。経営の赤字化を理由に、92年自身のブランドを解雇される。
その後、後任デザイナーにエリック・モルテンセンが就任。その後、ベルナールぺリスを経て、98年からステファン ローランがオートクチュール、プレタポルテともに担当。
ステファン ローランのコレクションはクラシカルなドレスから、ゴージャスなもの、リアルクローズまで幅広く発表されている。そのエレガントなデザインはしばしばウエディングドレスとして使用される。
2007年、Bouchra Jarrarがアートディレクターに就任。以降、ステファン ローランがオートクチュールに専念し、Bouchra Jarrarがプレタポルテを担当している。Bouchra Jarrarはジャンポール・ゴルチエ、バレンシアガなどで経験を積んだデザイナー。
現在、ジャンルイ シェレルは幅広く事業展開し、レディースのオートクチュール、プレタポルテ、メンズウェア、バッグなどのアクセサリー類、ランジェリーなどを発表している。