アラン ミクリは、1978年に創立したアイウェアを中心としたブランド。
アラン ミクリは、フランスのアイウェアのブランド。メガネをファッションの領域に高めたと言われ、フランスではボーソレイユなとどともに人気を博している。
メガネはそれまで貧弱の象徴、マイナス的なイメージを持ったものだったが、他のまねを許さない独特なカラー(色使い)とユーモアかつモダンなデザインを加え、知性、お洒落を表現するアクセサリーとなった。アシンメトリー(左右非対称)なフォルムなどデザイン性の高さを追求する中、機能性も十分に備えたデザインは、多くの人々のメガネに対する意識、メガネの位置づけを変えた。
■1980年代「見るための、そして見られるためのメガネ」
創業当時、社員はたった4名。だが、フランス人ジャーナリストは、次のようにブランドを表現した。「眼鏡には、アラン ミクリ以前とアラン ミクリ以後がある」。彼は自らを「アイウェアデザイナー」と称し、熱狂的に世間に受け入れられた。
1987年、パリのロジエ通り(Rue des Rosiers)に初の直営店「アラン ミクリ ブティック」がオープン。このブティックは、アイウェアデザイナーの名前を冠した史上初のブティックとなる。1年後には、ニューヨークの5番街に新たなブティックを出店。
1980年代から90年代にかけてカール ラガーフェルド、ジャンポール・ゴルチエ、クロードモンタナ、ダナ キャランなどのコレクションにアイウェアを提供。
1989年、サングラスのブランド、レイバンとのコラボレーションも行う。98年には「アランミクリ ヴェットマン」を発表して衣服の分野に進出。
■1990年代「見る価値のあるものに隠れている」
この時代は、様々なデザイナーとのコラボレーションを次々と実現していった時代。1995年にはマリテ+フランソワ ジルボー(MARITHE + FRANCOIS GIRBAUD)とソニア リキエル(Sonia Rykiel)。1996年にはジル サンダー(JIL SANDER)。
また、映画監督ヴィム・ヴェンダースとのコラボレーションも行った。彼の映画「Until the End of the World(夢の涯てまでも)」で登場人物がかけたアイウェアは、アラン ミクリが手掛けたもの。
1996年、アラン ミクリ社の一つのブランド「スタルク アイズ(STARCK EYES)」が誕生。建築家・フィリップ・スタルクとの長きにわたるパートナーシップが幕を開けた。スタルク アイズのために技術面はめざましく発展し、人体の肩の関節のように設計された世界初のネジのないヒンジ「バイオリンク」が開発された。
また同時期、日本、フィンランド、ノルウェーからパリのサン・ペール通り(Rue des Saints-Pères)まで、新しいブティックが続々とオープンした。
■2000年代 「ミクリが目元を飾る」
新たなキャンペーン「ミクリが目元を飾る」がスタート。ブランドの方向性が再定義された。 この時期、世界的に店舗を拡大。名古屋、デュッセルドルフ、上海、香港、ヘルシンキ、そして台湾など、アラン ミクリは、ブティック(直営店)だけでなく、ワールドワイドに展開するショップ・イン・ショップ(店舗の内装や商品展開条件が直営店と同等のアラン ミクリ正規販売代理店)を通じ、国際的な成功を収めている。
デザインは、2000年代は2001年にイッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)のためのリベリュールライン、2003年にジャンヌ・モローのアイウェア、2004年にはマグナムスタイルのデザインを手がけた時代。
また、この10年の間にレッドと透明色がキーカラーの「パッション ルージュ」などのカルト的なコレクションも生まれた。「ゴールド アンド ホーン」コレクションには、時には「目の前に煌びやかなものがあったほうがよい」というアラン ミクリの想いが込められている。
なお、2000年代は、アラン ミクリが慈善事業を始めた時代でもある。ヤン・アルテュス=ベルトランと一緒に視覚障害者のために、初のエキシビション『手で見る写真展=TOUCH AND SEE』(画像を触って認識できる写真展)を開催。 このプログラムの一環として、フランスの技術系高等教育機関Arts et Métiersによって開発されたプロセスを通じ、有名な「空から見た地球」プロジェクトの写真がアセテートのプレートに彫り込んでいる。
2000年、メガネにCCDカメラを装着し、目線から画像を撮影する「ミクリビジョン」を発表した。
2004年にはチタン製のアラン ミクリ チタン(alain mikli TITANE)を発表。2005年にはアラン ミクリパクト(alain mikli PACT)を発表し、独立した新ラインとして展開している。
■2015年現在
コンセプトは「機能性と審美性」。これはアラン ミクリが数々の作品を生み出す自由な精神のデザイナーであることに加え、優秀なオプティシャンであることを再び伝えている。
【アラン・ミクリについて】
アラン・ミクリは1955年、フランスに生まれる。76年、パリ、眼鏡学院卒業。眼鏡店で数年勤務した後に、独立する。これまでになかった約20色の色鮮やかなフレームを作り、注目を集める。78年、自分の会社Mikli Diffusionを設立。ファッションデザイナーのコレクションに、ミクリのメガネやサングラスのデザインを提供して好評を得る。これを機に自身の名を冠したブランド「アランミクリ」を創業。