映画『湖の女たち』でW主演を務める、福士蒼汰と松本まりかにインタビュー。
吉田修一による小説『湖の女たち』が実写映画化へ。琵琶湖近くの介護施設で起きた不可解な事件を発端に、捜査を行う西湖署の若手刑事・圭介と疑惑を向けられる介護士・佳代は出会い、歪んだ関係へと発展していく。
また、この殺人事件と西湖署が隠蔽してきたある薬害事件の繋がりを突き止める記者・池田など、複雑な人間関係と思惑が錯綜するー。「この世界は美しいのか?」人間の醜さと湖の美しさを対比し、人間における“生”の部分に迫る極限のヒューマンミステリーとなっている。
まず、撮影に入る前に原作『湖の女たち』を読まれたときの率直な印象をお聞かせいただけますでしょうか?
福士 :最初から今まで、十分理解できているかといったらそうではないというのが本音です。読み手によってどのようにでも解釈できるので、抽象画を見ているような感覚に近いと思いました。一方で、リアルな具象画もそこにある。とても広い空間に、2つの絵が横並びに置かれている意味深な…美術館に入って、その2つの関連性があるのかを考えてしまうような感覚に近いと思います。
お2人とも今までには経験のない役柄でしたが、どのように役作りされていったのでしょう?
福士:自分なりに考えて現場に行く訳ですが、それでも圭介のことは不明点が多くて…撮影に入ると、大森監督に「考えてきたものを取っ払ってくれ」と教えていただいたんです。“準備したものではなく、その場の感情を出すことに集中して欲しい”と。今、そのタイミングで集中していくことで気づけることがあると学びました。“自分の中での圭介像を壊す”という役作りの仕方だったかなと思います。
松本:私は自分が演じた佳代自身も、圭介との関係も、やっぱり頭で理解しようと思ってもわからなかった。これはどういった愛の形なのか?彼のことを好きなのか、体だけの関係なのか…一体、どっちなんですか?みたいな。迷宮入りしてしまったのだけど、自分の価値観の中にない関係性や欲求なんだと認識しました。一旦考えずに現場へ行って、佳代を体の感覚として得ることを心がけましたね。
福士:僕は、今回初めて本当の意味で“役を忘れる”ことを理解できました。この世界ではよく「感じたままに」と言われるのですが、分かったつもりになっているだけだったように思います。本当の意味で掴めていなかった。でも『湖の女たち』では、不思議なことに、大森監督に今までの僕の役作りを取っ払っていただいて、その瞬間に初めて役者陣が理解するという現象が起きました。この感覚だ、と確信を持てたというか。心で理解した感覚は初めてでしたね。
松本:大森監督は、俳優をとことん信頼しています。人、脚本、とにかく全てを信頼するっていうことが根本にある方だと思いました。信頼して、それを「OK」と言う。その懐の深さと人間の広さは、表現する上でとても大事、生きるのにとても大事なことだと感じます。私もその後作品をやる上で、大森監督の人を信頼する姿勢が自分の中で1つの価値基準になっています。表現するのにも生きるのにも、とても大事なものに気づかせていただきました。
福士:大森監督に“頭で考えない”お芝居を、また自分で再現できる状況にまで持って行っていただいたので、自分にとってターニングポイントになりました。
松本さんは、佳代を“体の感覚として得る”とおっしゃっていましたが、具体的にどのようなことをされたのでしょう?
松本:たとえば、佳代は限界状態の中、日々淡々とした毎日を過ごしている設定だったので、琵琶湖の近くで静かに1ヶ月、みなさんとは別の宿で生活を送りました。撮影期間、福士くんと喋らなかったこともそうですし、1人で追い込んで苦しくなっている状態の再現はできる。彼女と同じ体の痛み、心の痛みを感じる役作りしました。
撮影中、コミュニケーションを取っていなかったのですか!?
福士:今回、セリフ以外の部分で会話をすることはあえてしないようにしていました。圭介と佳代の関係を、撮影以外の時間も保っていたかったんです。
貴重な体験をされたのですね。映画『湖の女たち』の撮影前と後で、ご自身の価値観に変化はありましたか?
福士:あります!大きく変わりましたね。『湖の女たち』の後は、ドラマを数本やらせていただいたんのですが、お芝居のハマり方がまるで違う。
松本 :面白いね~!
福士 :これは自分の中での感覚の話ですが、映画のお芝居はある種、地味というか。劇場で見ると、ただ一点を見つめているだけのお芝居にも深みを感じる。でも、ドラマで同じように演じると、本当に何もお芝居してない人に見えてしまう。この差は、人間の心情やリアリティを深く描いているからこそ生じるもので、面白かったです。
松本:わかる。私も今『湖の女たち』と真逆のような“がっつり”エンタメ作品をやっていて、思っていることを全部顔に出したり、全ての表現がとてもわかりやすく大袈裟に見えかねない演じ方をしている分、よりその中のリアリティや内面を捉えていないと表面的で嘘っぽい演技になってしまうんですよね。
作風の異なる作品において、演じる上で意識していることは何ですか?
松本:どんな作品でも、“嘘でやらない”ことかな。決めて動くんじゃなくて、次に自分が何するかわからない状態で演じようって心がけています。そうすると、やっぱり楽しいんですよ。いくら表現方法が変わろうが、“内から出てきたもの勝負で芝居する”っていうのを今やってます(笑)。
初共演となるお2人は、お互いの印象にも変化があったとか?
福士:そうですね。第一印象は、バラエティ番組で拝見したのですが、無言のインスタライブをされていると…個性的な方なのかなと感じていました(笑)。
松本:私はイメージ通り、爽やかでいい方だなという印象です。でも撮影に入ったら、役で怖い存在だったから、ちょっと福士くん苦手かも…ってなって。そのまま撮影が終わって、1年半経っちゃいました(笑)。
そうだったんですね(笑)。今は仲良さそうですが…?
福士:映画の撮影以来、1年半ぶりに取材日があって、初めてちゃんとお話したんです。松本さんの明るく笑っている姿をたくさん見られたので、安心感のようなものを感じました。
松本:私もその時に意外とめっちゃ喋れる!ってなりました。彼の話してることに対してもすごく共感できて、本当に接しやすいし、ガラッと印象が変わって…撮影中は私を騙してくれていたんだって気づいて、すごい人だと思いました。相性いいと思います!(笑)
福士:そう言ってくださりますよね!
松本:え、違った?(笑)
福士:まだお話しするようになって数日ではありますが、映画撮影時とは全く違った関係になれていると思います。
では「この世界は美しいのか?」という映画の問いにかけて、お2人の美しいところを教えてください。
松本:福士くんは、自分の芝居に対して突き詰めていて、心から信じられる人。仕事に対して甘さがなく、追求していく姿勢は美しいです。あとは、圭介の姿もすごかった。圭介のことを怖くて嫌いって言ってましたけど、その怖さや嫌いは、美しさでもあり、色気でもあって…彼の醸し出す雰囲気がすごく美しいなと思いました。
福士:松本さんの美しさは、覚悟かな。お芝居のためだったらなんでもやるという覚悟をすごく感じた。たぶん共演した人みんなが感じることだと思うのですが、松本さんがそこまでやるなら自分も覚悟決めないとなと、こちらも身が引き締まる。松本さんの女性らしい見た目からは想像できないくらい、芯の強い部分を持っていて、すごくかっこいいなと思います。監督からの要望に、「はい、大丈夫です!」と潔く答える姿は美しかったです。
お2人とも芝居に対してストイックな部分が美しいと。また、今作で映し出されている人間が誰しも持つ負の感情や、フラストレーションに対しては、どのように向き合っていくべきだとお考えですか?
福士:俺はそういったネガティブな感情自体、そんなに感じないタイプなんです。もし負の感情が出てきそうだなと思う人や事柄があったら、前もって遠ざける。もし出会ってしまったら…いろんな側面を見てポジティブに変換するかな。基本ポジティブなので、負の感情だけではない、その事柄のいいところを見つけるようにします。
松本 :私もそうですね。合わないなと思っても、基本的には好きになる努力をします。たとえば失敗してしまったとき、それを失敗として嘆いて終わるのか、これからの自分の次の一手によって、この失敗をいいものに変換するのかが大事になってくると思います。起きたことは同じでも、この出来事があったからこそ得られた学びや、知った痛みっていう風に変換していって、解釈を変える。そして失敗の先の大きな成長になるように行動していくと、負の感情はなくなってますね。
福士:素晴らしいです!
素敵です!そんなポジティブなお2人が今、心の拠り所としているものは何なのでしょう?
福士:僕は家族です。仲の良い家族なのですが、いつも一番に応援してくれています。
松本:私は“今”で言ったら、出演しているドラマ「ミス・ターゲット」のスタッフさんたち。本当に素晴らしい方々に囲まれて、全幅の信頼を置ける環境でお仕事できています。 頼って頼られている、信頼関係の交換みたいなことがすごい楽しくて、心の拠り所です(笑)。