三浦:劇場版のシナリオをいただいたとき、すぐには理解できなかったんです。エレンもミカサも設定が原作と異なるので。
映画から何を感じて欲しいんだろうなって考えたときに、映画を観てくださるお客様に、きっと「進撃の巨人」という物語から、普遍的なテーマを感じて欲しいんじゃないかな、そういうシナリオの構成になっているのではと思ったんですよ。
水原さん演じる、ミカサに関していえば、劇中では、最初から主人公をきちんと守れる女の子ではないんですよね、可憐で儚くて。巨人が押し寄せた、そんな悲劇によって、彼女は変わってしまう、強くなってしまう。そのギャップが、とてもぐっとくるような構成になっています。
エレンにしてみても、外の世界が強く見たいということだけでなくて、今の自分の現状に満足していないというか…。
いざその歳になってみると、前の自分が思い描いていた理想の自分と違う、もっと成長していたはずなのに…ということをきっと誰もが経験したことがあると思うんです。20代になった自分って、きっともっとやりたいことがみつかって、30代の時はもっと上司とうまく話せてとか。でも、その成長過程に達していない、成長できていない自分が目の前にいるとしたら、漠然とした焦りを感じます。そういった感情が、エレンからは少し滲みでているんじゃないかなと思いました。
映画ならではの、生身の人間が演じるからこそ、そういう部分を考えるっていうことが挑戦でもあったし、難しかったところです。
水原:あのシーンを再現することは、すごくチャレンジングでした。人間で表現するのってすごく難しいことなんですよ。簡単にやってのけているように見えますけど、その体勢になるには、このワイヤーで、この重さで、それをどうするかって、いろんな問題があって。私だけでなく、監督もアクション部のみなさんも、スタッフみんなが感じて、考えていたことです。
水原:完成させる、その方向へ向かっていくことが大変でした。追い込まれましたし、ある意味で正解がないものを突きつめている感じでした。アニメもたくさん見ましたし、アクションの練習もすごくたくさんしたんですけど、やるしかないっていう思いでした。
三浦:自分の芝居が映像になった時にきちんと成立しているのかという不安でした。
僕たちはセットでの撮影では、グリーンバックの中で、目に映らないものと芝居をさせていただくことが続いたんです。その中で、遠くの方から監督の「OK」って声が飛んできても、本当にOKだったのだろうかと不安になることが多かったです。対人間の芝居だったら、芝居をしながら相手の反応がみえるので、きっとこれはいい芝居になったんだろうなとか、だめじゃないんだろうなって、感触があるんですけど。CGと演技をして、「OK」って言われても、不安になってしまうんです。
そんな葛藤はキャストのみなさんあったと思います。でも、自分の芝居を信じてやらなければならない。特撮と合成したとき、すごく大きなものと芝居をしているということを表現しなければいけないので自分で思っているよりもオーバーに芝居をしていたと思います。自分の感情は出来上がっているんだけれども、引きの画で見たときに、動きが小さく映って迫力に欠ける。そういうジレンマを消化していかなければなりませんでした。
三浦・水原:今回に関してはイメージと重なったところは一回もないです。
三浦:それに、そのときイメージしたものはあまり覚えていないんです(笑)。映像を観たときは、想像をはるかに超えるもので、興奮しました。
水原:私は、完全に観客の目線でしたね。「うわー、巨人のインパクトすごーい!」みたいな。観ていて興奮でいっぱいになりました。