リミ フゥはウィメンズブランドですが、メンズラインへの興味はありますか。
山本:メンズラインを作る気はありません。本来ファッションは自由なものだと思っているので、今の時代において男女の服にあえて境界を作ることに違和感を感じます。
また、紳士服と婦人服では服の作り方が全く違うので、これから紳士服の仕立てを学んでメンズラインを作るというよりは、私が作るリミ フゥの服を着たい、と思ってくれる男性にぜひ躊躇なく着てほしい。リミ フゥの服はオーバーサイズのものが多いので、実際男性のお客様も多くいらっしゃいます。私はそのことを純粋に嬉しく思っています。
今までのコレクションの中で、特に印象に残っているシーズンはありますか。
山本:自分がオーディエンスとしてもう一度見てみたいのは、2012年春夏コレクションです。東日本大震災が起こった年の秋にパリで発表したシーズンになります。
「Stand up all the genious doctors of the world, Kids in japan needs your help for the future.」と書かれた旗が登場したコレクションですね。
山本:リミ フゥは2008年春夏コレクションからパリに進出したのですが、とにかく忙しくしていた記憶があります。その数年後、日本で震災が発生して、「服を作る意味って何だろう」と毎日悶々としながら仕事をしていました。
震災当時、多くの人が普通の生活を送ることがままならない状況を強いられました。
山本:私はスタッフを預かっている立場なので、その状況下でお店が営業を続けることにかなり葛藤がありました。ただ想定よりも売上の落ち幅が少なかったことから、服で自分らしさを保ちたい、前を向きたいというお客様の心に触れたような気がしました。
当時は身も心も本当に消耗していましたが、自分の作る服がお客様に安心感や希望を提供できる限り、全力で作っていこうと改めて強く思ったコレクションでした。
ヨウジヤマモトのデザイナー・山本耀司さんを父に持つ山本里美さん。里美さんがデザイナーになる前から、山本耀司さんの存在を意識していたのでしょうか。
山本:父が服の世界で有名なデザイナーであることはもちろん認識していましたが、“住む世界が違う人”だと割り切っていました。「父は表に出る人、私は裏で生きる人」だと。
当時、父のいるモードの世界にはあまり関心がありませんでした。10代の頃は服よりも音楽に強い興味を持っていましたし、どちらかというとストリートに魅力を感じていたと思います。
結果的に自分は今デザイナーとして働いていますが、ふとした瞬間「私は山本耀司の娘でもなく、黒を愛用するデザイナーでもなく、全く違う人間だったかもしれないな」と思ったりすることがあります。
同じデザイナーとして活動するにあたり、山本耀司さんから助言はありましたか。
山本:助言はありませんでしたが、展示会にかかっている服を見て「これはこうだろう」とか、「もっとこうした方がいい」とか、ちょいちょい怒られます(笑)。
父は自分にとって服作りの師匠なので、私が悩みながら作った服を一目見ただけで全てを言い当てます。私がY'sの仮縫いに参加していた頃からそうなのですが、モデルに服を着せて歩いてもらおうとした瞬間、「悩みすぎだ」と見破られてしまったり。「やっぱりこの人は異次元の人だ」と、その隔てられた距離に悔しくて涙したこともありましたね。
山本耀司さんとは異なる、ご自身の強みはどこにあると思いますか。
山本:私は自分で作る女性服を自分自身で着て確かめることができます。同性として、服の修正箇所やデザインの飛躍――女性だったらここまでは大丈夫、でもここからは難しいなどを肌で理解できるので、その点が強みかもしれません。
服作りのプロセスが異なるのですね。
山本:そうですね。それと意識の違いもあると思います。父は服を作る時に、女性に対して「こうあってほしい」というストレートな理想があるのですが、私は自分が着て、動いてみて「こういうデザインにしよう」とか、「このデザインはこういう女性に着てほしい」というプロセスなので、女性像のとらえ方が違うと思います。
里美さんから見て、デザイナーとしての山本耀司さんはどのような存在ですか。
山本:やはりカリスマ性がありますよね。
どのような部分にカリスマ性を感じますか。
山本:どんな状況でも、スタッフがついていくところを見ていると感じます。私ではそうはいきません。
では、里美さんがチームをまとめる上で心がけていることは何かありますか。
山本:笑いを取ってチームをまとめています(笑)。父が二枚目なら、私は三枚目に徹する。一緒に笑うとチームに一体感が生まれますし、つねにスタッフと同じ目線でものを見ていたい。